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先輩から

S20M 松永大先輩からの投稿です。
第88弾です。なお今後も定期的に投稿を掲載して行きます。どうぞご期待ください。

第88弾「Mちゃんと愛犬チャチャ」

松永 巌

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 アメリカ勤務より帰国して三年、大田区に家を新築してニ年、家内と話し合って犬を飼う事にした。昭和五八年(一九八三)五月八日、日曜日、家から程近い中原街道にある犬屋を訪れた。昼近いせいもあり、殆どの犬はケージの中で寝て居たが、一匹だけ覚めて居て、元気よく私達を見て尻尾を振ってケージの中で立ち上がって居た。モフモフのポメラリアン(以下ポメと称す)の女の子であった。
 兼ねてから小型の室内犬をと言って居たのにも合って居た。私は一目でこの犬が気に入った。初めから「私を買って下さい‼」とばかり歓迎の挨拶をされた様な気がしてならなかった。店主に値を聞いたら可成りの値段であったが私は動じなかった。家内も私の勧めに快く承知した。買う事に決定し、店主から説明を受けた。先ずポメはベル・ドックと言われる程良く吠える事、最初二、三日は夜泣きをするので蓋の出来る段ボールに入れ、敷き藁の代りに新聞紙を細断したものを入れると良い事などであった。
 私は犬を飼った事はないが家内は実家で飼って居た経験があり心配してなかった。
 代金を支い段ボールに入れて自宅まで運んだ。二階が生活の場で、犬も二階住いとした。小さいせいもあり、階段の上下は出来なかった。案の定、最初の夜は泣き続け、家内は他の品種と換えようと言い出したが私は「縁あって我が家に来たもので交換は反対、兎に角数日様子を見よう」と説得し、トイレ・セットや食餌用品等急遽準備した。ジャパン・ケンネル・クラブから血統書が送られて来た。正式名称は Happy Ball of New Small Fountain と言う長ったらしいもの、愛称は「チャチャ」と呼ぶ事にして我が家の犬となった。
 家内がトイレ、お座り等の初期教育を担当、私は専ら朝夕の散歩を担当した。
 散歩の日数が増え、チャチャも次第に人懐こくなり、私が話す相手には尻尾を振って愛想良かった。同じブロックに映画監督の篠田正浩と女優の岩下志麻の邸宅があり、娘のMちゃんの目に止まった。彼女は近付いて来て「触っていゝですか?」と尋ねるので「大丈夫だよ、温和しいから」と言ったら喜んで暫し撫でて遊んで居た。彼女は当時三田の慶応の女子部に通って居て、車で丸の内に通勤する私と朝良く出会った。その度に彼女を乗せてやり三田の女子部の正門まで送ってやる事があった。「Mちゃんも俳優になるの?」と聞いたら「絶対になりません‼」と稍きつい調子で答へて居た。又部活では当時女子には少いフェンシングをやって居ると話して居た。それから私も三菱を定年になり、家も親戚の者に譲り横浜に転居し、Mちゃんの事は頭から離れて居たのだが、今年(ニ〇ニ五)三月篠田正浩監督の訃報が新聞に載り、Mちゃんの事にもチラッと触れて居たので想い出した。
 彼女は一般の人と結婚、一般市民であり名も伏せたが、数えて見ると五〇才を過ぎて居る。懐かしく会って見たいと思うが先ず果たせぬと思う。愛犬チャチャも晩年医者通いも多かったが平成一〇年(一九九八)五月一七日、一五年六ヶ月の生命を全うした。

2025.8.8