先輩から
第86弾です。なお今後も定期的に投稿を掲載して行きます。どうぞご期待ください。
第86弾「諸里忠治先生と物理の本」
松永 巌

諸里先生は私が長岡工業二年生(昭一六年、一九四一)と四年生の時の物理の先生。確か東京物理学校(現理科大学)の御卒業で、長身ではないが痩身で、スポーツ・マンの様なタイプだったが、声が大きく講義も非常に解り易かった。
先生は私達の担任になって間もなく召集令状(俗に言う赤紙)が来て入隊された。お別れの挨拶もなく突然の事であった。後の授業は他の担任が担当されたが同級生では惜しむ声が多かった。しかし四年生になった時に復員して来て再び物理を担当される事になった。
復職した日の朝礼の時、演談に上り、満面の笑顔で全校生徒を見渡し、大きな声で「陸軍軍曹諸里忠治、死なずに帰ったぞ‼」と叫ばれた事が今でも目に浮かぶ。他に三人の先生が出征され戦死されたのに、生還されたのが余程嬉しかったのだと思い、私達生徒も祝福の拍手で歓迎した。
四年生の時、私は飛び級受験で長岡工業専門学校(略称
工専・現新潟大学工学部)に入学、同級生の諸君は五年生になり、学徒動員で名古屋の岡本工業に派遣され飛行機の車輪の生産に従事して居た。私は工専の成績が良かったので、主任教授から大学入学を推薦された。父亡き後親代りの長兄、母、嫂と相談、嫂が強く奨めて呉れて私の大学受験は本決りとなり、一つの山を越え、受験準備が始まった。
試験科目は、数学、物理、化学(無機、有機)、図学、語学(英独仏の一つ)、作文であった。物理以外、参考書が準備出来たが、物理には閉口して居た。こゝで思い出したのが諸里先生、意を決して戦災に逢った母校に先生を訪ねた。三年振り位でお互いそれ程変りはなかった。事情を説明し「何か良い本はありませんか?」とお尋ねした。先生は黙って立ち上り、本棚から二冊の本を出して呉れた。本は「新撰高等物理学」上下二巻、著者は宮西通可、福本喜繁両理学博士、昭和一三年(一九三八)裳華房発行、価格上巻二円六〇銭、下巻二円八〇銭とあった。内容を掻い摘んで見ると大変解り易く、問題もあり「これだ‼」と思った。先生は「これを貸して上げるから頑張れよ‼」と励まして呉れた。
この本を勉強し、受験の前夜暗記した公式が試験問題に出て飛び上がる程嬉しかった事も懐かしく思い出される。しかしこの二冊は、余りにも痛みが酷く返却する事なく私が保管する事にした。
首尾良く東大に合格、卒業して数年後の級会に諸里先生を御招待し、二冊の本を持参した。会の冒頭挨拶し「この本は大学受験に際し先生から拝借し、お返しすべき物であるが、ご覧の様に書き込みがあり、表装も大変痛んで居てお返し出来ません。代りに心許りの寸志を献上する事で御了解を頂きたい‼」と申し出た所、先生は大変お喜びになり、皆からも拍手を受けた。先生の目に滲むものを見て私も目の潤むのを感じた。
この二冊の本は昔を語る如く私の本棚の一等席に置かれて居る。多くの人々のご協力を頂いて今日あるものと感謝して居る日々である。
2025.6.12