先輩から
第85弾です。なお今後も定期的に投稿を掲載して行きます。どうぞご期待ください。
第85弾「ペース・メーカー」
松永 巌

一昨年(ニ〇ニ三)の四月、環状動脈のカテーテル手術を受けて以来定期的に病院で心電図を採り、超音波(エコー)検査、X線検査により、心臓の働きをチェックして居る。自分でも毎朝毎晩血圧、心拍数を測定し、管理手帳に記録して居る。
つい先日三月三一日の夜何時もの様に測定した。血圧は上下共正常であったが心拍数が正常の半分四〇位しか無かった。夕食に少々酒を呑んだせいで、一晩寝たら戻るだろうと高を括って寝てしまった。翌四月一日朝測定したら四四と出た。可笑いと思って何回やっても四〇代で時には三〇代も出た。
偶々その日定期検査の日であったので定刻に家を出て二百米程の距離にある病院に向かった。妻は付いて行くと言ったが近いし、それ程苦しい事も無かったので独りマンションを出た。小雨であったが傘無しで歩いた。然し少し歩くと胸が苦しく途中の信号も含めて三回立ち留って病院に着いた。少々休んで受付けを済ませ、先ず採血の後、心電図測定室に入った。顔見知りの女性検査員が手際良く手配し計測に入った。暫くして女性は「少しお待ちください」と言って部屋を出て行った。間もなくして主治医のS医師と一緒に部屋に入って来た。
医師が「松永さん、今大変の状態で、直ぐ入院してペース・メーカーを装着する手術が必要です。説明の必要があるので至急奥さんを呼んで下さい」との事。スマホを持参して来て居たので直ぐ電話をした。家内は「今病院に来て居る。出る時に様子が変だと思ったので後を付けて着た」と言い現場に現れた。
ペース・メーカーに就いては大正三年(一九一四)生まれで一〇三才迄生きた姉が着けて居たので多少の知識はあったが、自分が着ける事になり真剣に説明を聞く事にした。
医師の説明を要約すると「心臓には鼓動を命令する洞結節(自然のペース・メーカー)と言うものがあり、こゝから発せられた信号が、房室結節、ヒス束(電線)を通って心臓を動かすのだが、私の場合このヒス束が断絶して居る。心臓の筋肉は使令が無くても、暫くは動くが何時止まるか解らないので、大至急ペース・メーカーを着ける必要がある。
手術としては左の鎖骨下辺を切開し、袋を作り、こゝに広さは切手二枚分程、厚み七粍程の金属板を挿入し、こゝから出る二本の絹糸程の電線を静脈を通して心臓に届かせ先端が螺線状の針になって居るものを心臓に突き刺す手術で、最適な刺す場所を探し出すのに多少時間を要する事もあるが約二時間外部からの遠隔操作に依って行うものである」と言う説明であった。更に「起り得るミスとしては心臓に針を刺す時に突き破る事で、この場合出血して死に至る。もう一つは針が肺に刺さる事で肺の膜に空気が入り、気胸又は鳩胸と言う病気になるが、今迄一〇〇回程の事例があり心配ない」と付け加えられ、承諾書に署名した。直ちに手術服に着換え、移動ベッドに乗せられ、消毒、点滴の準備が行はれ、手術室に移動、スタッフが馴れた手付きでテキパキと準備が整えられ執刀医である主治医の到来を待った。やがて主治医が到着、スタッフと打合せが済み、私の耳元で「松永さん、始めますよ‼」と声を掛けられ私も「宜敷くお願いします」と答へた。
左の鎖骨下の部分にメスが入るのから始まり、暫らくスタッフ等が動いて居た。途中で主治医が「松永さん、順調に行って居ますよ‼ もう少しです!」の声を聞いて安堵した。少々時間が経ち、最後に「終わりました‼」の声に本当にホッとした。病室に移動し、体調の回復、ペース・メーカーの調整、切開した傷の治癒のため一週間の入院経統を要し八日退院と言われたが、丁度その日は虚子忌、主治医に七日に退院出来る様に話した。「傷次第ですね‼頑張りましょう‼」と言って呉れた。
その後ペース・メーカーの調整に二日程要したが傷も完全に治って無事四月七日夕刻退院する事が出来た。五年から一〇年後に電池交換の必要があると言われたが我が寿命がそれ迄持たないと思い気にはしていない。四月八日の朝測定したら血圧、脈拍共正常になって居り虚子忌へ出席する事にした。色々な事が起こり、色々な人々のお世話になって人間は生きて行くものと日々感謝して居る次第である。
2025.4.17