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先輩から

S20M 松永大先輩からの投稿です。
第75弾です。なお今後も定期的に投稿を掲載して行きます。どうぞご期待ください。
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第75弾「汀子先生のお電話」

松永 巌

 平成三〇年(二〇一八)一〇月二六日恒例の年尾忌が鎌倉の寿福寺で挙行された。この日何時もご出席の汀子先生が、体調不良との理由で欠席された。
 私が平成二二年(二〇一〇)二月ホトトギスの誌友となって以来汀子先生が句会を欠席なさったのは初めてであった。
 私は行事終了後、帰宅して先生にお見舞の手紙を書いた。その中に「先生のご不在の句会は山葵の無い握り鮨の様なもので何んと無く締りが無い」と記した。この言葉は汀子先生から廣太郎先生にお伝えになったらしく、次の社句会の時にお集りの皆さんにお話になったので御記憶の方も多いと思ふ。
 一一月一一日私の句「九十を超えて爽やか所作動作」が朝日俳壇の汀子先生選に入選したのでお礼とお見舞を兼ねて、お手紙を差し上げた。早く全快なさって句会に御出席をお願いするものであった。
 その後暫らくして一二月九日午後汀子先生から私の自宅にお電話を頂いた。家内が電話に出ると「ホトトギスの稲畑汀子で御座居ます」とのお声。突然の事でこ吃驚して応答もしどろもどろであったらしいが、慌てて子機を私の部屋に持って来て「汀子先生から!」と驚きの顔で渡した。私が出ると「朔風さん!今朝日俳壇の選をして居る所で、丁度朔風さんの句を見て居る所なの‼だけど採りません。朝日俳壇から同じ人の句を余り短い間隔で採らない様にと言われて居るから」と仰しゃり、病気の話に変り、かなり詳しくお話しになった。
 「心臓が悪いらしく”たこ壺型心筋症”と言う可笑しな名前の病気です。大部良くなりましたが当分飛行機には乗るなと言われて居るが年尾先生を偲ぶ会には出たい」などとかなり長い時間お話になった。
 後の話になるが、お別れの会で朝日俳壇の西秀治氏のお話で、汀子先生は毎回六〇〇〇句程の句を三〇〇位片手に持ち一句一秒程度の速さで選をなさったと聞き、私にお電話を下さった日は、ご自宅のご病床からとは言え、ゆっくりなさってお出であったのであろうか、今となってはお尋ねする事は出来ない。
 翌年の一月年尾先生を偲ぶ会にも残念乍らご出席頂けなかった。やはりこの心筋症が先生のお身体を虫食んで行ったと考えられる。
 因みに「たこ壺心筋症」を検べて見ると、心臓の左心室の心筋の一部に異常が発生し、左心室がたこ壺の型に似て来る病気らしいが、何れにしても珍しい病気で心臓の動きが正常ではなくなり汀子先生の御命を縮めた事は間違いない事実で誠に残念である。

2024.5.5