先輩から
第66弾です。なお今後も定期的に投稿を掲載して行きます。どうぞご期待ください。
第66弾「原 哲巌先生」
松永 巌
私が小学校五年の時の担任の先生である。私の小学校は小さな分校で、私が入学する前は一二年、三四年、五六年が夫々一緒で級が三つしかなく、一人の先生が同じ教壇で両学年を教えた。従って三年生が四年生の学課を勉強する事もあった。
私の入学の時は私の他に二人の進学希望者が居たので、町の方で校舎の増築をして各学年一組が実現した。それでも建築が遅れ三四年が一緒と言うことがあったが五年の時漸く一学年一級となり、原先生が担任となった。
先生は戦前満州(現中国)ハルピン(哈爾浜)にあった国立哈爾浜学院の御卒業、中国語、ロシア語、満語(満州の方言)がお出来になり、授業中や休憩中私の解らない言葉を口にして居られた。私が記憶して居るのは、「マーシガチョンゴシ」と言う訳の判らない言葉であるが、先生に聞くと「お前の饅頭は旨い」と言う満語だと言って居たが真偽の程は不明である。
先生は中肉中背、前頭部は可成広くなって居て細縁の度の強い近眼鏡を掛けて居た。時々しゃっくりとも咳ともつかぬ咳払いをするので”しゃっくり先生”と徒名が付けられた。
思い出の一つは歌が旨い事であった。喉仏の所を摘まんで振るわせ乍ら唱う声はプロ並であった。
二つ目は放課後の怪談である。薄暗い教室で、身振り手振りで話されるのだが、これが又プロ級で、時々机など叩くと真に迫って居り女子は大きな悲鳴を上げた。演目は四谷怪談、牡丹灯籠、番長皿屋敷等長い話は数日続く事もあったが話が旨く面白かった。
先生は地理が得意で、説明が解り易かった。
長崎県の時に「ここには大きな造船所があり巌君などは将来、ここで働く様になるかも知れない」と言われた言葉を忘れることが出来ず、而も本当に先生の言う通りになったのも奇し縁と考えざるを得ない。
時を圣て母が亡くなった時帰省して、この話を高校教師をして居る実家の甥にした所、先生がお元気である事が解かり、車で連れて行くのでと手土産を準備し、先生のお宅を訪ねた。三三年振りであった。お宅は刃物で有名な燕三条、信濃川近くの小さなお宅であった。東大に入学希望と言う息子さんも同席した。
小学校時代の先生の予言が適中した話をすると先生も稍はにかんだ御様子で「記憶にはないが、そんな事言いましたかね」と感無量の御様子であった。長年の御無沙汰を詫び失礼した。
2023.7.16