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先輩から

S20M 松永大先輩からの投稿です。
第61弾です。なお今後も定期的に投稿を掲載して行きます。どうぞご期待ください。
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第61弾「エジプトの思い出」

松永 巌

 エジプトには一九七一年五月と一九七二年四月の二回訪ねた事がある。何れも「トレンコ」と言うタイヤ会社への機械の売込み。
 この二回の訪問で記憶に残っているものに就いて述べて見たい。
 兎に角暑いが湿気が低く不快感は無い。当然の事ながら言葉が違い、文字が違い、看板の意味が全く解らない。アラビア数字を使用せず、数字にアラビア文字を使い、車のナンバーまでが読めなかった。
 一回目はヨーロッパ出張中で、スイスのチューリッヒからスイス航空(SR二七〇)でジュネーブ、アテネに立寄り、夜八時頃カイロに着いた。ホテルはナイル河畔のナイル・ヒルトン。翌朝住友商事のアレンジで、「トレンコ」のカイロ本社を訪問、翌々日アレクサンドリアの工場を訪ねるための打合せを行い、午後は定番のスフインクス、ピラミッドの見学に当て、ピラミッドの内部迄拝観。
 四千年前の石の造形には変化は無く、時の流れを感じた。印象に残ったのは、何れも積まれて居る石の個体は予想以上に大きく、当時の技術の高さに改めて感動した。
 もう一つ面白かったのはゴルフ場で、観光の後ゴルフに案内されたのであるが、場所はナイルの中州、大阪の仁川の様に競馬場と供用されて居るが樹木は一本も無く、フェア・ウエイには芝は生えては居るがグリーンは砂地の所謂サンドグリーン、と言う物で初めての経験であった。中洲の川風もあり、あまり暑さは感じなかった。
 翌朝住友商事の手配した車で七時半ホテルを出発アレクサンドリアに向った。約四時間、舗装の完全でない道路を走った。時々集落はあったが大きな街を通った記憶は無い。何処でも草はあるが樹木が殆んど無かった。
 途中で交通事故に会ったらしい駱駝が悲鳴をあげて居るのを見た時は本当に痛々しい気がした。又道路から少し離れた所に櫓を建て筵で囲ってるのを屡々見たので運転手に尋ねた所、食用の鳩を養殖して居るのだと言う。
 砂漠地に於ける動物蛋白源であろうと納得出来た。現地に着いて「トレンコ」への説明も無事済んだ。アレクサンドリアは周知のごとくクレオパトラの時代エジプトの首都であり、遺跡なども色々あるらしいが時間が無く観光は果たせなかった。車でカイロに戻り、夜景を楽しみ、土産物を沢山買って休んだ。
 翌朝スカンジナビア航空(SR五四六)でカイロを発ち、ロンドンに向かった。
 二回目は一九七二年四月一三日パンナム航空(PA〇〇一)で羽田を発ち、ベイルートでマレーシア航空(MS七〇一)に乗り変えて翌日正午カイロに着いた。再び「トレンコ」カイロ本社を訪問、翌日コペンハーゲン、デュッセルフドルフに立寄り四月二四日夕刻最終目的地ドイツのハノーバーに到着。予約して置いた民宿に入った。夜中に太腿の裏が赤く腫れて、痛くて一睡も出来なかった。ハノーバーは「メッセ」と称し大きな工業製品の展示会が開かれて居り、これを二日間見学する事が最終目的であったのだが、先ず会場の医療室に飛び込んだ。医師はフォルマリンによる炎症でトイレの便座からであると言って白い薬を塗って包帯をして呉れた。痛みがどんどん引いて行く感じがした。カイロの空港のトイレでフォルマリンの匂いがしたのを思い出した。これもエジプトの思い出の一つと考へ懐かしくもある。商談は不幸にして受注する事は出来なかった。

二〇二二・一二・〇五