先輩から
第58弾です。なお今後も定期的に投稿を掲載して行きます。どうぞご期待ください。
第58弾「卒業アルバム」
松永 巌
先日暇な時間に本棚の整理をして居たら、集英社の大判「現代世界美術全集」二五巻の隣に隠れる様にB4判アルバムの在るのに気付いた。私の母校長岡工業専門学校精密機械科第六回卒業記念の物である。
栗色の布表紙、紐での右綴じ、表紙には銀の箔押しで
「ZUR ERINNERUNG AN UNSEREM STUDENTELEBEN 1943-1947」
と記されて居る。(我らが学生生活の思い出のために)をドイツ語の岡崎初雄教授が独訳したもの。
長岡工業専門学校の前身は長岡高等工業学校。現新潟大学工学部である。年号を見て解る通り、昭和一八年より二二年、将に終戦前後そのもので恐ろしい程物不足の時代で、このアルバムの布も紙も劣悪な品質である。しかし同級生I君の涙ぐましい怒力の結晶であり感謝して居る。彼は隣県長野の有名中学(旧)の出身で、家庭が裕福だったらしく長岡に下宿をしていて、カメラを持ち歩くのが趣味と言うか、入学以来このアルバムの製作を考えて居たのかも知れない。と言うのは至る所で彼のスナップ写真が採用されているからである。
一頁目は昭和二〇年八月一日大空襲の際在校生等の消火活動で焼失を免れた本館、玄関の写真と校歌の楽譜と歌詞に本アルバムのタイトル。
二頁目は勅任官の正装の初代福田為造校長、在学中の二代目坪井道三校長、三代目山本純如校長の写真。三頁目は我が精密機械科の恩師の写真。工業学校出身の私に製図の時間は免除するから大学受験の勉強をと奨めて呉れた柳川清科長のお顔が懐かしい。
五,六頁は校舎の各部、七頁には同級生七〇名を二分し、科長、担任教授を入れた配列写真。校庭での全員の俯瞰写真と寄せ書。因に私は「生瞬間」と書いて居る。
以下校内各所、各実習現場、市内各地に学生が繰り出した写真(殆どが演出)。私の顔も数カ所出て居るが、一人で読書をしている写真に実際はドストエフスキーの「罪と罰」を読んで居たのだが添え書きには「緑陰に珍本を開けば」とユーモラスに書かれている。昭和二一年から二二年にかけて大雪で、屋根より高く積み上げた雪や、雪中教練の写真などで総数三四頁。前述の様に紙は粗悪、顔を大切にする数頁は高品質な紙を使用してあり顔も鮮明に識別出来るが、あとは小糠色に変色し、写真もセピア色になって居て、時の流れを感じる。重さを計ったら一・六瓩もある。
然し、我々に取っては貴重品、大切な所はプロの作品もあり完成も専門家が行って居るが、前記I君が二年掛りで纏めて呉れたものと思って居る。
最後に誠に不幸な話をしなければならない。それは最後の卒業試験、数学の試験の時、五十音順の席順の初めの方の黒板に向って一番右側の廊下に近い列で何か騒ぎが起きて居た。ちょっと気を取られたが時間との戦いの時、問題に集中して居た。試験が終わって話を聞くと、I君がカンニングをして看視の教官に見付かったと言う。直ぐ彼がアルバム作りに奔走し、勉強する時間が無くやってしまったのだと思った。学級委員をしていた私は看視して居た数学のK教授の所へ素っ飛んで行って彼の事情を説明し、見逃す様に懇請した。K教授は「事情は理解するが発覚した以上見逃すわけには行かない」と頑張って遂にI君は留年と言う事になって終った。彼は最後の頁の卒業生の氏名、住所、出身校を記した名簿に自分の名前も入れて置いたのであった。
このアルバムを見る度にI君の事を思い出し、気の毒な気持ちになるのである。
二〇二二・九・一五