校章
校名
校名

先輩から

S20M 松永大先輩からの投稿です。
第57弾です。なお今後も定期的に投稿を掲載して行きます。どうぞご期待ください。
写真

第57弾「ムッシュー・ガズイ」

松永 巌

 ムッシューと言うからには勿論フランス人でフルネームはゼラン・ガズイ。
 パリから300粁程南、汽車で四時間、人口一万五千人位のモンルソンと言う街にある機械メーカー、ガズイ社の二代目社長である。
 フランスの有名なタイヤ・メーカー、ミシュランに色々なタイヤ製造に必要な機械を納入してる従業員三百名位の小さな会社である。
 日本のタイヤ・メーカーからラジアルタイヤの補強と緩衝の為に入っている繊維がナイロンからスチールに変わるので、これを裁断する機械(斜めに裁るのでバイアス・カッターBCと呼ぶ)を作れとの要望が出て来た。タイヤ会社から情報を得て、フランス三菱に依頼して探し当てた会社であった。
 昭和四四年(一九六九)一二月漸く訪問する運びとなった。十二月九日にパリに到着したが濃霧のため足止めを喰って一五日パリを鉄道で出発、一泊して翌一六日ガズイ社訪問。
 社長に初めて会った。背丈は私より小さく小太りで髪が薄く老けて見えた。流暢な英語を話しコンミケーションに問題はなかったが工場、製品の説明を昼食も入れて朝一〇時から午后四時まで掛った。日本のカッターはギロチン式であるがフランスでは事務所のペーパーカッターも回転ロール式でBCだけの構造でないことも解った。しかし色んな所で彼のアイデアが入っていて話を聞いているだけでも楽しかった。考えた物は何でも作って終う発明家である。軽自動車に畳程の翼を付けた飛行機も作っていて丁度パリで開かれている航空ショーに出品しているので見に来いと誘われ、飛行機好きの私は現地で会う約束をして終わった。
 BCの技術提携の話も順調に進み年開けに技術者を送る話も決めてモンルソンを離れた。
 航空ショーの場所は一般のドゴール空港の少し北のル・ブルジェ空港であって居り、当日バスとタクシーで現地に到着し、彼の飛行機のある場所で会った。模型飛行機に毛の生えた様な感じで、座席は二つあるから乗って見ないかと誘われたがさすがに乗る気になれず体良く辞退した。二十万ドル(当時七千二百万円)で製造技術を買わないかと言う話はMU-Ⅱを出品して居た三菱重工のブースを訪ね出席されて居た担当の曽根嘉年常務にも伝えて居たが興味は持たれなかった。
 帰国して契約の手続きを完了し、昭和四五年(一九七〇)三月長崎の設計から後藤耕平君を派遣した。因に後藤君は現在伝統俳句会員。彼の帰国後九ヶ月で1号機を完成、ブリヂストン栃木工場に納入した。
 話し好きのムッシュー・ガズイは経験とジョークを雑えて面白い話をし、私の事をムッシュー・サムライと呼んでいた。あれ以来全く会ってなく消息も不明であるが忘れられない人の一人である。

二〇二二・八・一五