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先輩から

S20M 松永大先輩からの投稿です。
第48弾です。なお今後も定期的に投稿を掲載して行きます。どうぞご期待ください。
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第48弾「月見団子」

松永 巌

 工業学校時代の友人で片桐茂雄と言う人が居た。一年先輩であったが、同じ方向の汽車通学で仲が良かった。私は長岡から北へ三つ目の「見附」。彼は一つ先の「帯織」。私は剣道部で、彼は柔道部。部活の練習で、帰りは六時の汽車で一緒になる事が多かった。
 がっしりとした体格で、終戦の前の年陸軍士官学校に入学、私は長岡工業専門学校に進んだ。終戦まで互いに消息は不明であったが、軍は消滅して居る筈と思い実家に連絡した所「是非出て来い」と言うので、或る日自宅から自転車で約五粁離れた彼の家を探して行った。
 両親は既に亡く、長兄が出て一緒に懇談した。終戦当時甘いものが全く手に入らず、話題が甘いものの話から砂糖を作る話になり、砂糖黍の代わりに唐黍ではどうかと言う話になった。子供の頃唐黍の茎を齧って、少し甘かったことを思い出した。そして茎に絶対糖分があると信じた。唐黍は肥料が無くて肥沃でない土地や空き地を利用し、農村では大量に栽培され、茎や葉は堆肥にするか捨てられて居た。片桐君の家からの帰り、村の才人で句友でもある1年上の渡辺潔君を尋ね、この事を話したら、彼も乗って来て、茎を潰すのを旨くやるために電動ローラーを使用する事を提案した。電動ローラーとは藁製品を作るため、藁を大量にソフトにするために使用する機械で、私も良案と思った。彼は早速この機械を取り出して、家の近くに生えて居た唐黍を二、三本取って来て機械に噛ませて見た。
 茎を半分に割れば更に良く二本のローラの間に食い込むことも解った。茎は旨く潰れて僅かではあるが液が出て来る事も解った。翌日又渡辺潔君の家に行って、手に入るだけの唐黍の茎を集めて準備をし、ローラーの下には大きな鍋を置いて滴り落ちる液を貯める様にした。電動であるから瞬く間に集めた茎を全部潰した。そして絞った液も可成りの量溜まった。潔君の母上がこれを火に掛けて煮詰めた。
 可成り煮詰まった所で指に付けて舐めて見ると少々酸味はあるが黒砂糖の味がした。
 「成功!」皆笑顔になった。潔君は回覧と口コミで、村中に宣伝をした。無論我が家も実行したが、電動ローラーは無いので隣家のものを拝借した。そして僅かながら甘味料を得る事が出来た時恰も十五夜、村中で甘い月見団子を味わった。
 「唐黍のお陰で甘い団子が食べられたよ!」と村の人が喜んだ。
 発案元の片桐君はその後埼玉県の大宮に予備校を樹て後進の指導して居たが十年程前に他界した事を同窓会誌で知った。
 句友の潔君は睦人の俳号で郷里で俳句をやって居たが肝臓を毅して早逝した。
 そんな二人を偲んで、今年も月見団子を備えた。

二〇二一・一〇・五