先輩から
第44弾です。なお今後も定期的に投稿を掲載して行きます。どうぞご期待ください。
第44弾「T 君」
松永 巌
私は小学校五年の時、旧制中学五年の友人が居った。彼の名誉のため本名は明かさずT君として置こう。
彼は隣村の寺の長男で、父上は僧侶兼教師、私も良く知る人であった。彼には弟が二人、妹が一人居たが、皆良い人であった。
T君の小学校時代は、年が離れて居て、直接は知らないが、教師である兄や姉の話に依ると、極めて馴々しい秀才であった由である。
私が五年生の時、小学校に来ていた彼と出会ってから友達になった。
逢う度に次に会う場所と時刻を約束して別れた。彼は何時も中学の制服制帽で、自転車に乗って来て居て、時には私を乗せて遠くまで連れて
行って呉れた。その度に駄菓子屋などに立寄って、私の好きな当時五銭の小さい箱の森永ミルクキャラメル(現在百円程)を買って呉れた。
今考えると、話の中には私の知らない難しい社会問題の様な話もあり、当時読んではいけないと言われて居た豊田正子の「綴方教室」とか島崎藤村
の「破戒」と言った本を貸して呉れた。内容は良く解らなくても読める範囲で、一生懸命読んだ記憶がある。読んだあとの私の印象等に就いて彼は
余り質問などはしなかったが、この頃から彼は左傾思想の持ち主だった様に思う。
中学を卒業すると彼は広島高等師範学校(現広島大学)に入学し、距離的に離れて合う機会はなくなったが、封書の手紙を何回も貰って私も一生
懸命返事を出し、将来の進学の事など相談して居た。
私が中学二年になった夏休み、帰省するので、実家の寺へ遊びに来いと葉書が来た。
寺の構えは知って居たが中に入るのは初めての寺の庫裡に案内された。表から裏まで筒抜けの長い部屋で風通しが良く涼しかった。
久し振りに会って大変嬉しかった。彼は弟や妹をそっちのけにして、私の相手をして呉れた。暫くして、こっそりと一枚の葉書を出し、黙って私に
読めと言った。読んでみると、広島高師の寮の同室の友人から来たもので、「特高刑事が部屋に入って来て、マルコスとある本を没収した」と言う
文語があった。特高とは「特別高等警察」の略語で、戦前戦中を通して、左傾思想の持ち主を摘発する組織であった。当時は共産主義を主体とする
左傾思想は認められず、地下組織として活動して居た。そして、これ等を赤と称し、特高は所謂「赤狩り」の先鋒であった。彼は案外平気な顔を
して居たが、私は子供乍らも内容が理解出来て、これは大変な事になると感じた。家に帰って二階に居る長兄にこの状況を話した。長兄は兼々私が
T君と付合って居るのを知って居たので、私の部屋の本棚にある、彼が貸して呉れた本や、危ないと思われる本を全部抜き出し「今から燃やす」と
言って下の竈まで持って行かせ大急ぎで燃した。
それから数日経って、夏休みの終りに近い日の夜、私は何故か駅の待合室に居たのだが、ドヤドヤと?,五人の人が入って来た。
よく見るとその中にT君が居た。皆普通の服装だったが「特高だ!」と直感した。彼も気を使って私の方を見ない様にして、時刻板など見上げて
居たが、入って来た上り列車に乗って行った。私は胸がドキドキして暗い気持ちで帰宅し、長兄初め皆に様子を話した。中学二年の私に「特高」が
来るとは思わなかったが、暫く不安な気がして居た。
それから数年が経ち、彼の父上に彼の消息を尋ねて見た。父上の話に依ると、特高に拘束されて居たが徴兵適齢期になって入隊し、今は軍隊に居る
との事であった。
更に数年後、父上に会ったら「彼は前線に出され、戦死の公表は来たが、遺骨は無い」と言い「巌さん、私はどう考えたら良いのでしょう?」と私
に問い掛けられたが、私には返事が出来なかった。
二〇二一・三・二六