先輩から
第42弾です。なお今後も定期的に投稿を掲載して行きます。どうぞご期待ください。
第42弾「避難梯子」
松永 巌
或る日の夕方、下の階の奥さんが訪ねて来た。家内と二人で玄関に出て話を聞くと、主人が鍵を持って外出し、大学一年の息子も、小学四年の娘も外に出て居て、鍵が無くて入れないので、我が家のベランダにある避難梯子を使用して家に入らせて欲しいと言うものであった。
下のお宅は若い世帯でご主人はJAL貨物のパイロット、奥さんは女優の深田恭子そっくりの美人で、子供達とも良くお話しをする打ち解けた仲ではある。
何処のマンションでも同じと思うが、六ヵ月ごとに消防設備点検があり、消防局から担当が来て、火災報知機、スプリンクーラー、消火器の点検をし、最後に避難梯子の動作確認をするのである。
避難梯子は、地震、火災で、階段、エレベーターが使用不能の時に下の階に避難するためのもので、各フロアに二カ所あり、その一つが我が家のベランダにある。
我が家のベランダは東側と南側にL字型になって居り、東側の方は幅一.二米、長さ八米あり、避難梯子はその中程にある。七〇糎角の正方形のステンレス製のハッチが、ベランダの床面より3糎高くなって居り、通行には不便である。
下のお宅も全く同じで、奥さんはすっかり頭に入って居る様子であった。
ベランダに案内すると、可成り重いハッチを軽々持ち上げ、掛って居るチェーンを手際良く外し九十度開いた。外は薄暗くなって居り、ハッチの裏に付いて居る説明文の文字が、私には読めなかったが、奥さんは慣れた手付きで、説明文など見ずにレバーを押し、折畳まれて居る梯子を下げた。そして「仕舞いに又来ます」と言い乍ら降りて行った。
数分後再び玄関に現れ、ベランダに出て、ハッチの裏に付けてあるハンドルを取り、所定の穴に差し込んでくるくる回した。梯子はゆっくり上がって来て所定の位置に収まった。ハンドルを元の位置に戻し、ハッチを倒し、安全ロックチェーンを掛け、元通りにした。
何回か練習した手付きであった。私も一度は試したことはあるが、奥さんの様にスピーディには出来ない。恐らく下のお宅は子供も居り、非常時の事を弁えているだろうと思った。翌日主人からのお土産と言ってお礼のお菓子を頂いた。
避難梯子が非常用以外にこんな使い方があるのだと、家内と笑った。考えて見たら我が家は最上階で、お願いするお宅が無いので気を付けようと言う事になった。
二〇二一・二・一五