先輩から
第33弾です。なお今後も定期的に投稿を掲載して行きます。どうぞご期待ください。

第33弾「忘れ物」
松永 巌
米国に駐在中、カナダのトロントにあるタイヤ会社を訪ねた時の事である。仕事を終わって、午後の便でシカゴの事務所へ帰る飛行機
の中に眼鏡を忘れたのである。
飛行時間約一時間、その間に出張報告をまとめるべく書類を取り出した。当時はまだ五十歳、書類を書く時だけ眼鏡を必要とした。
亡き母に似て、左眼が強力な乱視で、普通の老眼用とは異なる読書用の眼鏡である。
レンズが特殊なので、フレームも入れると値段も可成りなものだった。
出張報告書も大体出来たので、眼鏡をケースに納め、座席の前のポケットに入れ、ホッと一息入れ、暫しうとうとして居た。
シカゴのオヘア空港に着陸したショックで目を覚まし、書類を入れた赤い革張りのブリーフ・ケースを提げて、慣れた通関手続きをして、
駐車場へ向かった。往く時に駐車して置いた社有車を運転して事務所に着いた。
未だ就業時間中で皆机に向かって仕事をして居た。私より一歳年上の秘書のマーガレットも私を待って居た。
机に座ってブリーフ・ケースを
開けた。何時もあるべき所にあるはずの眼鏡が無い!!しかし直ぐ思い出した。飛行機の中だ!!フライト・ナンバーUA二六三と座席番号を
マーガレットに告げて、空港のUA(ユナイテッド航空)の「ロスト・アンド・ファウンド(遺失物係)」に電話して探して貰う様にした。
マーガレットも係と暫く話をして居たが要領を得ない。
翌日は、運転免許証の更新に行く事になって居り、矯正視力と言う事で、眼鏡は絶対に必要な事が解って居たので、不安と焦燥は、重圧になって
居た。
マーガレットは「こう言う時は、電話では駄目だから、空港へ直接行って、自分で探した方が良い」と言う。アメリカを良く知る老練な彼女の
アドバイスと思い、暮れ掛かったシカゴの街を車で空港へ急いだ。広い駐車場の中を走るようにして、UAの「ロスト・アンド・ファウンド」へ
辿り着いた。中老の係員が対応し、事情を話すと「サン・グラス」か「リーディング・グラス」かと尋ねるから「リーディング!!」と答えたら
「OK!」と言って奥に行った。戻る時には、日本の銭湯の脱衣室にある衣物籠の様な物を抱えて来た。
ケースに入ったもの、入ってないものの眼鏡でほぼ一杯であった。彼は「これが今日の忘れ物の眼鏡だ」と言って、私の目の前のカウンターに
どんと置いた。その時である。
私の見慣れたケースが見えた!!あった!!UAの切符を入れる特別の紙ケースで包む様にして、フライト・ナンバーUA二六三と大きく画いて
あった。間違いない!!拾い上げて「ゼスイズマイン!!これが俺のだ」と言ったら、にっこり笑って「ティクイッツ!!持って行け!!」と
言って籠を持って引っ込んで行った。手続きも、サインも何もしないで。
大人の国なんだなーと言う感じであった。
それにしても良かった。胸に支えた物がスーと消えた。これで明日の運転免許証の切り替えも容易に出来る。急いで事務所に帰って、
マーガレットに感謝感謝であった。彼女とは帰国後も、クリスマス・カードを交換して居たが、乳がんを発症し手術して元気になったとの便りが
あったが、十年程前亡くなったと言う知人からの連絡があった。冥福を祈る。
二〇二〇・二・二