先輩から
第27弾です。なお今後も定期的に投稿を掲載して行きます。どうぞご期待ください。
第27弾「トラベラーズ・チェック」
松永 巌
昭和四十四年(一九六九)二月二十七日、ヨーロッパでの仕事を終えて、パリからJAL〇〇一便で、午後二時、ニューヨークに
着いた。木旺日であったが、その日はホテルにて休息し、翌金旺日に米国三菱商事(MIC)ニューヨークに出社して打ち合わせをし、週末は
観光と予定を樹てた。
MICニューヨークでは日本人の副社長、部長、担当者と、米国人クラークが出席し、会議は終了した。
翌三月一日は土旺日、天気も良く、メトロポリタン美術館に行く事にした。ニューヨークは何回も訪ねて居るのでガイドは不要、タクシー代を
節約するため、乗合バスを利用した。充分時間があったので、美術館を見て廻った。エジプトの古代の品々から、日本の浮世絵などもあり、
日本から派遣されて居た学芸員の方々から説明を頂いたりした。
帰りも同じ様にバスに乗り、ホテルに帰った。やれやれとベッドに腰かけて、上着を脱いだ時である。左内ポケットに入れて置いたはずの
トラベラーズ・チェック(以下T/C)が無い。一瞬頭の中が真っ白になった。
右内ポケットには財布を入れて、ボタンを掛けて居た。左の方のパスポートは無事で,T/Cだけが無いのであった。未だ数百ドルの未使用の
T/Cである。財布の現金が無くなった時の予備として、国籍を証明するパスポートと常時所持して居る。T/Cは、パスポートより背が高く、
私の洋服ではボタンが掛からないので、上の方が見える状況であった。
T/Cだけ掏摸に遣られたと思った。
取り敢えずMICの担当者の自宅に電話をした。在宅だった彼は、今日はどうにもならないが、副社長に相談して善後策を検討するから、明日、
日旺だが会社に出て来いと言うので了解。日旺日に出社することにした。
思い出して見たら、美術館に行くバスの中で、数人の中南米人が、私に体当たりして降りて行った。あいつ等が犯人に違いないと思ったが、どう
する事も出来ない。
日旺日、言われた通りに、誰も居ないMICの事務所え出向いた。そこには副社長、部長、担当とクラークのローランド君も居た。
結論は、今日は日旺であるから、明日月旺日T/C発行元であるバンク・オブ・アメリカ(BOA)の本社に行って事情を話す事だと言う事に
なり、ローランド君が同行して呉れると言う。
翌朝BOAに行くと、担当の女性が対応し、使用したと思うT/Cの、使用日時、場所、金額、番号を思い出せる範囲で良いからリストアップし、
未使用分のT/Cの金額、枚数を記載して提出したら、紛失した分と同額のT/Cを無償で供給すると言う。
運の悪い時は悪いもので、何回も海外出張して居り、その度にT/Cの金額毎に番号を控えて置き、使用する度に消去する方法を取って居た
のだが、その時支給されたT/Cはバラバラで記録する気にならなかった。しかもヨーロッパを経て行ったので、尚更厄介だった。
兎に角、記憶を辿りつつ、一応使用済みと未使用のT/Cのリストアップを捏ち上げた。
中には思い出せず、出鱈目に作った部分もあったが、そのまま、BOAに持参した。前の担当の女性が出て来て、追及もせずに、数百ドルの
未使用分のT/Cとして、手数料も取らず再発行して呉れた。規則とはいえ安心した。
仕事を終えて帰国し、仕事をして居た或る日、BOA本社から分厚い封筒が届いた。
開けて見たら、大きな紙に、使用済みT/Cの全部のコピーがあった。私のサインを真似た高額なものが幾つかあった。自分が使用したものと
そうでないものに記しを付けて返送した。BOAが此処までやるのかと感心したが、後日更に驚く事が起こった。それは、私が紛失として申告
した金額が六十ドル多いから、六十ドル返却しろと言うのである。アメリカでは簡単にパーソナル・チェックを封筒に入れて送れば済む事である
が、日本からは簡単ではない。結局MICの担当に連絡して、払って貰って、後で出張した時に返済した。
それ以来、内ポケットはT/Cが納まる様な深さで洋服を注文し、T/Cは使用する度に、克明にメモを取る事にした。
二〇一八・一〇・一