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先輩から

S20M 松永大先輩からの投稿です。
第17弾です。なお今後も定期的に投稿を掲載して行きます。どうぞご期待ください。
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第17弾「天井埋め込み型エア・コン」

松永 巌(朔風)

 昭和五十四年(一九七九)四月、私が三菱重工の駐在員として、シカゴに居る時に、冷熱事業部のビーバー・エア・コン関連の、米国視察団 二十名程が事務所にやって来た。
 乞われて一同に講演をする事になった。確か「米国と日本の違い」と言う様なテーマーで話した記憶がある。
 米国は広大な国、日本は狭隘な国。土地の価格、空間の価値は比較にならない。エア・コンなどは、部屋の空間を占拠する事なく、「階段の下」 「壁の中」「天井裏」「縁の下」等のデッド・スペースに納めるべきである。
 それから米国人は、就寝中の騒音には余り神経質では無い様だが、静かであるに越した事は無い筈であるから、静かなエア・コンと言う事も セールス・ポイントになると思う、などと話した。
 視察団の中に、大学の後輩である木村源次郎君なる男が居て、私の話に共鳴して、帰国後、事業部の幹部に「シカゴに面白い人が居るので、 一時帰国させて、話を聞いて欲しい」と報告したらしい。
 早速、本社から一時帰国の命令が出て、冷熱事業部で話をする事になり、スケジュールに組み入れた。
 冷熱事業部訪問の日、事業部長を初めとして錚々たる人々が集まって居た。例の木村源次郎君も居た。私はシカゴでしたと同じ様に、家の中の デッド・スペースの利用、特にエア・コンを天井に埋め込む案を推奨した。
 その時、出席者の一人の、末永秀夫と言う大学の先輩の技術部長が「松永さん、そのアイデアを私に下さい!!」と言はれ、技術を集約して実現 すると約束された。
 それから約1年後私は帰国して、本社部長に就任した。そんな或る日、冷熱の末永部長が私の席に来られた。
 「松永さん、天井埋込型エア・コンが出来たよ!!ドレーンの排水を、高い梁を超えて出す設計に多少苦労したが、小さなポンプを付けることで 解決した。又機械本体を天井から下げて手の届くところで修理手入れのメンテナンスも、容易に出来るような設計にした」と、本来から優しい お顔の先輩が、更に笑顔になって詳細設計について説明された。私も末永部長と我が事の如く嬉しかった。
 数年前他界されるまで、毎年丁重なる年賀状を頂いた。この型は他メーカーに無いので、申請すれば実用新案位にはなったかも知れないが、 多くの者が利用出来る方が、社会貢献出来ると考えて後悔はして居ない。
 天井埋込型エア・コンを見る度、自分のアイデアを末永先輩が実現して呉れたのだと思い彼なくしては、この偉業はとても達成出来なかったと 考え、感謝の気持ちで眺め、ご冥福をお祈りして居る。