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先輩から

S20M 松永大先輩が雑誌「ホトトギス」に掲載した中からの投稿です。
第16弾です。なお今後も定期的に投稿を掲載して行きます。どうぞご期待ください。
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第16弾「十二指腸がん」

松永 朔風(巌)

 昭和四十八年(一九七三)本社で新機種開発を担当して居た時の事である。日本のX線器械の性能が、未だ良くなかった頃フランスのCGRと 言う会社の器械が優れている事を知り、技術提携をする事を考えた。
 それにしても、その器械の現物を見て、性能を試して見る必要があると思い、色々手を尽くして調べた所、幸いにも近くの三菱商事の本社に、 その器械のある事が解った。早速その筋を通して事情を話し、調査する承諾を得た。そしてその日は社医としてのがんセンターの先生も来る事も 知らされた。それではと、当の自分がモルモットになり、本格的にバリュームを呑んで、CGRの器械で胃のX線写真を撮る事にした。
 当日がんセンターから来た医師は小黒八七郎先生と言い、柳田邦夫の小説「ガン回廊の朝」に実名で出ている有名な先生で、オリンパス工業と 胃カメラに目盛りを付けるなど開発改良をされた、胃がんの権威者である。
 当日十一月二十六日、小黒先生指導の元、X線撮影が終わった。結果を見るのを楽しみにして居たが、返答が遅く、商事を通して先生に問い 合わせた所、先生から直接電話が掛かって来た。答えは予期せざるものであった。
 「影像に怪しい影があるので精密検査をしたいから、築地のがんセンターに来て下さい」と言う事であった。とんでもない結果に、大いに 当惑したが、取り敢えず、十一月二十八日がんセンターの小黒先生を尋ねた。先生は「胃ではなく、十二指腸に影がある。十二指腸がんは滅多に 有るものでは無いが、念のため、更に詳細に検査をするので、胃カメラを呑んで下さい。若し十二指腸がんなら学会ものです」と言われ、十二月 八日に来院せよと日時迄指定された。さあ大変!新機種開発所では無く、自分がどうなるか解らない。
 検査後直ちに入院、手術になるかも知れない。自宅に帰って家内に話をし、下着、洗面用具など入院の準備をさせた。家内は話す言葉も涙声に なって終って居たが「まだ決まったわけではない。心配するな」と励ましたが、自分自身も不安に満ちて居た。
 当日家内は連れず一人でがんセンターへ出掛けた。小黒先生が手際よく説明して呉れた。 先ずX線撮影であるが、胃ではなく、十二指腸迄確実にバリュームを入れる必要があるわけで、X線技師が、直径七粍位、長さ一米以上の ビニール管を持って来て「これを呑んで下さい」と言う。「こんな長い物をどうやって呑むんですか」と言ったら「口を大きく開いて下さい」 と言うや否や三十糎位間を喉に投げ入れる様に突っ込んだ。「げーっ」と吐きそうになるのを堪えて居ると、食道を擦り乍ら入っていくのが 解った。技師は途中で、その管に針金を入れ始めた。モニターを見乍ら幽門を探し当てる。彼は「口から幽門まで約一米はある」などと話し乍ら ビニール管を十二指腸迄届かせた。そして大きな注射器で、バリュームを注入し、色々な角度から撮影した。その日には入院は無く十三日に 胃カメラを呑むことになった。
 胃カメラは小黒先生でない担当医が行った。やはりモニターを見乍ら幽門に誘導し、十二指腸迄届かせた。先端が幽門を突き抜ける時は、 胃袋に孔を開けられる様な感じであった。胃カメラのスコープは一米二十糎あるそうだが、カメラが口のすぐ前にある感じがした。例によって 空気を送って胃袋を膨らませて居るのが辛かった。前述の様に十二指腸がんは稀にしか無いと言うので小黒先生初めインターンの学生など数名が 代わる代わる覗くのに時間を取られて閉口したが、一応撮影が済んでホッとした。
 最終的に小黒先生の説明では「普通の人の十二指腸はCの字の形で胃と腸が繋がれているが、貴男のは非常にまれにしかないε(ギリシャ文字 のイプシロン)の形をして居て、この曲部にバリュームが残ったものでがんではありません」と言うものであった。
 「良かった!」天にも昇る気持ちで、真っ先に家内に電話をした。家内も電話の向こうで喜んでいる様子であった。
 技術提携の話は、色々検討の結果、実を結ばなかった。
 この記事を書くため調べたのだが、小黒八七郎(おぐろやなお)先生は私と同郷の新潟県のご出身で、一九二九年生れ、東大医学部をご卒業、 がんセンター、東大、東邦大などに勤務、赫々たる業績を残され、一九九七年六十八歳の若さで他界されて居る。