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先輩から

S20M 松永大先輩が雑誌「ホトトギス」に掲載した中からの投稿です。
第15弾です。なお今後も定期的に投稿を掲載して行きます。どうぞご期待ください。
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第15弾「角帽」

松永 朔風(巌)

 昭和二十二年、東大入試の時、世田谷区若林にあった先輩の下宿に泊まらせて頂き、合格発表は、その先輩から連絡して貰う様に、 受験番号一〇六四番を教えて帰宅した。
 三月の初め、先輩から電話を通じての伝言があった。「合格!」とだけの連絡であった。 当時東大工学部は本郷にある第一と千葉にある第二の二つがあったが、この時点ではまだ不明であった。
 合格と判ったら、突然嫂が、金を遣るから角帽を買って来いと、当時にしては可成りの大金の二百円を呉れた。私の通学して居た長岡には 大学は無いし、角帽を売っている店は無かった。角帽は当時大学生のシンボルであり、学生の矜持、又必須の様なもので、皆が着用し、大学に より夫々特長があった。
 例えば早稲田は西洋式に角の尖ったもの、慶応は丸型、官立(現国立)は大体、型も徽章も共通で、顎紐の止めピンの一方は出身中学、他方は 出身高校の徽章を小さくしたピンを用いるのが通例であった。郷里の新潟県では角帽を売って居る所は官立の新潟医大のある新潟で、最寄りの駅 から汽車で二時間掛かる。この事を嫂に話したら「新潟まで行きなさい。二〇〇円には汽車賃も入っている」と言う。恐らく私より四歳年下の長男 を頭とする三人の息子達に、角帽を見せたかったのだと思う。私は嫂にお礼を言って百円札二枚を握り締めて新潟へ向かった。
 帽子屋と言うだけで、人に尋ね乍ら、漸くとある帽子店に辿り着いた。ショウ・ウインドーに、たった一つ角帽が飾ってあった。
 恰も私を待って居たかの様な感じがした。胸をときめかせて店に入り、その角帽を出して貰って被って見た。注文したようにピッタリだった。 世の中に、こんなうまい話があるものだろうかと思う程であった。略百円の金額で購入した。
 新潟医大に入る人も沢山居るであろうし、新潟高校から他の大学に進学する学生も多く居り、角帽を必要とする人も少なくないと思うのに、 一つだけ店にあったのも奇跡の様に感じた。神が与えて呉れたラッキーと思った。
 角帽を被ったまま、雀躍する気分を抑えて二時間汽車に乗って帰り、母と嫂に見せた。その時の二人の笑顔は今でも忘れられない。その後雪国 特有の雪しろで村が水浸しになり、郵便配達が遅れ、四月に入って漸く正式の入学許可書が来た。本郷の第一工学部であった。浦和に居る姉夫婦 の家に下宿する事にして居たので、千葉では困ると思って居て、これもダブル・ラッキーであった。
 現役の三年間はこの角帽をこよなく愛用したが、流石大学院の三年間は使用する事が無かった。
 この角帽は一人娘が私の形見物として大切にして居る様である。