先輩から
第14弾です。なお今後も定期的に投稿を掲載して行きます。どうぞご期待ください。
第14弾「報国債券」
松永 朔風(巌)
時は昭和十五年(一九四〇)大東亜戦争勃発直前、大日本帝国と称して居た日本は、神武天皇即位より起算して、この年は皇紀二六〇〇年、
当時の政府はこれを記念して、「報国債券」なるものを発行した。勿論、目的は軍資金の調達であった事は明らかであるr。
この債券、調達金額は定かではないが、額面は五円、売り出し価格も五円であったが抽選で当たれば五円の賞金付であった。
当時、私は中学一年生、月謝は厚生費等も含めて二円五十銭、小遣、学用品購入費等で二円五十銭位、自宅通学で交通費を除く所要経費に
相当した。当選した時の感覚からすると、今の五万円位の価値があったと思う。
毎月、長兄と母から貰う金がその位であり債券を買うのに可成小遣を節約した記憶がある。当時この債券は郵便局の窓口で売られて居た。
小さな町であるから、窓口の職員も顔見知りで「当たるといいですね」と笑顔で出して呉れた。当選発表は今の様な新聞ではなく官報であった。
五円の当選を夢見て抽選の日を待った。
抽選の翌日、再び同じ窓口の職員に、官報を見せて呉れる様に頼んだ。職員は奥に行って官報を抱えて来た。可成分厚い物であったが自分で
探せと渡して呉れた。その頁を探し、六、七桁の番号を探した。何百かの番号を順次見て行った。「あった!」当選だった。
職員に告げ、債権を出して確認した。職員はニコニコ顔で五円札を呉れた。大喜びで、乗って来た自転車に飛び乗って大急ぎで家に帰り、
母を呼んだ。母は仏間に居た。債権を仏壇に上げ、母と一緒に手を合わせて喜んだ。
そして母は私に尋ねた「債権の額面の五円は何時返って来るのか」と。つまり五円の償還期日は何時かと言うことである。
債権の裏に償還日は昭和四十年と明記されて居た。母に「二十五年先だ」と答えた。
その時、驚いた事に母は「巌、その時の五円では飴玉一つ買えるかどうか解らないよ」と言った。当時、私はその意味が良く理解出来なかったが
、現実は、ほぼ母の言う通りになった。成長して旧制高校に入学した時、月額六十円の奨学資金を借りる事にした時も、母は同じ質問をした。
当時奨学資金の返済も二十五年後月々五十円であったので、その旨答えた。母は同じ様に「その時の五十円では煙草一箱買う位の金額だろう」と
言い、その様になった。
母は経済学者でも何でも無いが、ものを有りの儘に見る人で、昔、百文が一銭になって、一文では何も買えなくなった実感から来たものだと
思われる。