先輩から
第7弾です。なお今後も定期的に投稿を掲載して行きます。どうぞご期待ください。
第7弾「三菱重工爆破事件」
松永 朔風(巌)
それは私が長崎造船所から本社に転勤して来て三年目の昭和四十九年八月三十日に起きた。当時重工ビルの六階にあった産業機械第二部を
本拠とし、第一部、開発部を兼務する部長代理として多忙を極めて居た。
その日も所属のスタッフを集めて朝からリゾート開発の会議をして居た。何かの用で、私は会議を中座し鮫洲運転免許試験場に行った。
帰った時は既に十二時は過ぎて居り、会議は済んで居るだろうと思って会議室に行ったら未だ続いて居た。「おい!もう十二時過ぎだぞ、
あとは食事してからにしようよ」と言って、皆と一緒に地下の社員食堂に行くべくエレベーター・ホールに向かった。途中私は家内に買い物を
頼まれて居た事を思い出し、急いで自分の席に戻り、柱に掛けてあったその日仕立て下ろしの洋服の内ポケットから財布を取り出した。
ひょっとして緊急の書類があるやもと思い、立った儘書類箱の書類をパラパラと一覧し、急ぐものは無いと確認し、小走りでエレベーター・ホール
に向かった。私を待って居て呉れた数人に、お礼を言って、ドアの開いたエレベーターに乗った。ドアが締まりかかったその時である、
突然大きな爆発音がして天井の換気ファンが外枠ごと外れてぶら下がって大きく揺れた。同時に長年貯って居た埃がエレベーターの中に舞い硝煙の
匂いがした。この匂いは学徒動員で群馬県の中島飛行機に居た時に爆撃を受け経験して居た。一瞬「戦争か!」と思った。エレベーターが五階で
止まったので降りて時計を見た。十二時四十五分を過ぎて居た。走って窓際に行き中通りを見下した。通りには向い側の三菱電機ビルの窓ガラスも
全部割れて落ちて、道路を埋め尽くして居た。数人の人が倒れて居て、その近くのガラスは血に染って居るのを見た。「爆弾だ!」と独り呟いた。
腹が減って居た。
「腹が減っては戦は出来ぬ。慌てても仕方が無い」と思い、一人で動いて居るエレベーターに乗って地下一階の社員食堂に行った。玄関ホール
の真下に当たる部分の天井のボードが垂れ下がって居た。賄いの小母さんが「何かあったのですか?」と聞くから「解らん!食べる物あるか」と
聞いたら「蕎麦ならある」と言うから、蕎麦を一杯食べて音のした玄関ホールに出て驚いた。ガラスが全部無くなって居り、多くの人が右往左往
して居て、救急車の音も聞こえて居た。
直ぐ職場の事を考えた。この日運悪く、部長は葉山に新築した家に、九品仏の社宅から引っ越しのため休暇を取って居た。自分が職場に戻って、
指揮指導をしなければならないと自覚し六階に戻った。エレベーターは破損はしても動いて居たが、二メートル角程の窓ガラスが、不思議な事に
一枚置きに無くなって居た。席に着く間もなく、部直、各課長に、社員の生死を確認する様に命じた。
爆弾は二つあると車内放送があったので、多少なりとも抵抗になると思い、ガラスの無い所はブラインドを下げさせた。部直の若い女性が
直通電話で泣きながら話をして居て、家と話して居ると言うから「この電話はいま最も重要なもので、独占、私用は許さん」と受話器を
取り上げた。人員点呼は順調に進み、程なく全員無事を確認した。そして休暇中の部長に電話で報告をした。
当日は金曜日、翌日台風襲来の予報があり、その注意対策も部の者に話をした。時を経ずビル管理会社の三菱地所が来て日没までに破損した
全ビルの窓を応急処置の板で塞いだ。その速さと手際の良さに驚嘆した。
私の本務の席は六階の窓を背にし、左後方に柱があった。爆風は左下方から来たので、この柱の影響が大きかった。掛けて居た仕立下しの新調の
背広と机の左側に置いた眼鏡には掠り傷一つ無かったが右側に置いた茶々碗は吹っ飛んで割れ、又スチール製の右袖の引出にはガラスの破片が
突き刺さって居た。
若し、あの時、書類を見るために座って居たらと思うと背筋が寒くなる思いがする。
翌土曜日、休日であったが保安要員として出勤、警察の視察を受けた。その後、警視庁捜査一課から各フロアに刑事が数日間出動し全員に
聞き込み調査が実施された。外では中通りに数人の人が一列横隊に並び、爆弾の正体を掴むべく地面の物体の破片の捜査が行われて居た。
後で新聞に予想される爆発物の正体が発表になった時には日本の警察の凄さに感心した。
後で犯行は東アジア武装戦線「狼」の仕業と分かり九名が逮捕されたが、社員、訪問者、通行人合わせて八名が死亡、三六七名が重軽傷を
負った。私の隣席の荻野君は偶々食事を済ませ玄関脇のカフェに居て出た時爆発に遭遇し、膵臓にガラスの破片が到達し翌日亡くなった。
又足首に小さな破片が残って居て車のアクセルとブレーキの踏み替えの時痛むと言う者も居る。食事を済ませ窓より離れた席からガラスの破れる
のをスローモーションの様に見て居た者も居て、彼の話によると、爆発と同時にガラスに無数のヒビが入り、水を被る様に破片が飛び散った
そうである。又三菱電機ビルのガラスより重工ビルのガラスの方が厚く、その割れ方に差が出た由である。
この事件は予告電話があり交換手が総務課長に連絡した直後で、仕掛けた二個は殆ど同時に爆発したと見られて居る。道路に空いた穴も含め
今は完全に元の姿になって居り、あれだけの爆発があったとは考えられない状態である。