先輩から
第2弾です。なお今後も定期的に投稿を掲載して行きます。どうぞご期待ください。
第2弾「ニホンカワウソ」
松永 朔風(巌)
昭和二十七年、未だ東京大学大学院の研究室に勤務していた頃、夏休みを利用して家族で新潟の実家に帰省した時のことである。
にさいの娘を連れて村の鎮守の諏訪神社へお参りに行った。神社は村の外れにあり、実家から四、五百米位離れ、信濃川の支流の刈谷田川の堤防を背にした県道沿いにあった。
実家にある村一番高い杉と同じ位の一本杉の御神木が目立って八月の越後平野は稲の花の真っ盛り。生育と結実のため田圃には、なみなみと水が湛えられて居た。
水を田に引くために幅二米位の水路が設けられて居るが、実家のある蒲原地方では耕地整理が完成されて居り、田圃も水路も幾何学的に縦横の直線で出来て居る。従って水路は道路と並行又は直角に交わっているわけであるが、道路の下には直径一米位の土管が伏せてあり、水が通るようになって居る。神社の前を通る県道に沿って幅5米位の川があり、この川にはコンクリートの橋が掛けられ、神社より真っ直ぐに幅二間の道(二間道と呼ばれていた)が伸びて居た。娘と私はお参りを済ませ、この道を二人で何か話し乍ら、ぶらぶらゆっくり歩いて帰って行った。
その時である。神社から五十米位の道路の交差点に差し掛かった時、二匹の猫程の大きさの黒い動物が戯れ合って居るのが目に留まった。何だろうと、二,三歩近付いて見ると、耳が小さく胴が長く、濡れて光って居り、尾が長く太い動物であった。「ニホンカワウソ」だと私は呟いた。
一分と経たなかったと思う頃、二匹は私達に気付いて道路沿いの水路に飛び込んだ。多分安全な土管の中に隠れたものと思った。娘に「ニホンカワウソ」だよ。と言ったが理解出来るわけがない。帰って実家の者に話したが、村でそんな話は聞いたことが無いと半信半疑。然し私は絶対「ニホンカワウソ」だと信じて居る。
娘が承認になり得ないのが残念で仕方がない。鼬はもっと小さく色も違う。狐、狸はもう少し大きく、犬猫ではないし、皆水に逃げ込むことは考えられない。亡くなった明治十五年生まれの母の話によると、私が二歳の昭和四年に旧家屋を毀したが、その家の縁の下に獺が巣を作り、夜になると「クークー」と鳴き声がして居たそうである。家の裏には幅三米位の小川があるし、家から近かったそうだから、それは本当の話と思って聞いて居た。
昭和五四年絶滅種とされたから、昭和二七年は二七年も昔の話であるが、それでも当時としては確実に見た者は無く、稀有な話であった。恐らくホトトギスの中では私が自然棲息の「ニホンカワウソ」を見た最後ではないかと思って居る。