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《人生の回想》
第67話 懐かしのふる里 越後:吉ケ平へ・・
野﨑(旧姓:椿)敬策(S46e)
二年ぶりに家内に背中を押され 生まれ故郷:下田村吉ケ平に9月15日出かけた・・天候は今一だったが 吉ケ平山荘(かつての吉ケ平分校)には何組かのCamperたちが居た。
我が家が故郷を離れ 既に57年が経過し 我が家の有った場所は樹々で覆われ 面影も無くなっていた。ただ 微かに平地を思わせ 曲がり屋の茅葺家屋を想った。棚田だった所も木々に覆われ かつて ⛷️(Ski)ゲレンだったとは想像する事すら出来ない変わり果てた山間地だった。
山荘を管理する方は荒沢出身の僕よりチョット若い方だった。毎日 車で通っているとの事だった。森町中学の話になったが僕が卒業後の彼だった。間もなく会長が来るので逢って行ってはと言われた。2年前にも出会った 唯一の旅館(守門館)を営んでいた長男の鈴木貞夫さんだった。またまた昔話に話が弾んだ。姉の同級生で2年先輩の会長さん。
帰りに吉ケ平の名水をペットボトルに汲んで持たせてくれた。
我が家が故郷を離れ 既に57年が経過し 我が家の有った場所は樹々で覆われ 面影も無くなっていた。ただ 微かに平地を思わせ 曲がり屋の茅葺家屋を想った。棚田だった所も木々に覆われ かつて ⛷️(Ski)ゲレンだったとは想像する事すら出来ない変わり果てた山間地だった。
山荘を管理する方は荒沢出身の僕よりチョット若い方だった。毎日 車で通っているとの事だった。森町中学の話になったが僕が卒業後の彼だった。間もなく会長が来るので逢って行ってはと言われた。2年前にも出会った 唯一の旅館(守門館)を営んでいた長男の鈴木貞夫さんだった。またまた昔話に話が弾んだ。姉の同級生で2年先輩の会長さん。
帰りに吉ケ平の名水をペットボトルに汲んで持たせてくれた。
関越自動車道の赤城高原SAにて
栃尾からの雲に隠れた守門岳
我が家の横の堰堤(新しくなっていた)
我が家の敷地後(樹々で鬱蒼と)
大洪水で直線になった守門川
吉ケ平山荘のCamp地
かつての校門
新しくなった吉ケ平山荘
会長さんと僕
我が家の屋号は 新屋・・集落概念図の中段の右端にある。自前で小川を活用した自家発電で電気生活をした我が家。そんなところから新屋と呼ばれていたようだ。そのDNAは今の僕にも引き継がれているのかも?
吉ケ平集落概念図 👆中段に新屋
吉ケ平集落概念図 👆中段に新屋
この後 庭月の同級生宅に寄り 仏壇に手を合わせた。帰りにコメ不足の事を知っていた彼はお米や野菜(カボチャ・里芋・さつま芋など)を持たせてくれた。昨年は4クラス合同の同級会をやって以来の再会だった。八木前ではお猿さんに出合った。かつてはお猿など居なかったのに 今ではお猿に猪 そして 熊も出没との事だった。
五十嵐川と八木ヶ鼻
栽培されている蕎麦の花
雨が降る中 柏崎に車を走らせ 寿司lunchを楽しんだ。
すし割烹“魚河岸”にて
下田村:庭月・八木前から吉ケ平へのMAP