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《人生の回想》

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第57話 椎間板ヘルニア&脊柱管狭窄症を克服して!(後編)
野﨑(旧姓:椿)敬策(S46e)
 二週間の仰向けBed生活から解放され、その日から車椅子を使う事無く病棟や売店迄歩くことが出来た。今までの5年間が嘘のようだった。整形外科病棟では内科病棟などと違い明るい雰囲気で他の入院患者とも親しくなれた。
 57歳(2010年)頃から植木職人を第三の人生として、大学関係と二足の草鞋を踏んだ。60歳になった頃からSilverの仕事以外に地元の造園会社での勤めが始まった。Silverは比較的体力は温存出来たが、造園会社では若い人から先輩迄様々な人達が仕事をしていた。ダンプカーやパッカー車、25m位あるクレーン車まで時々運転する事となった。負けず嫌いの筆者は皆と同じように植木剪定・草刈り・木の伐採などをこなした。結果、64歳頃から腰痛や下半身に違和感を覚えるようになった。
 65歳になってまた椎間板ヘルニアが再発したかと考え、娘がお世話になって居る広尾の日赤医療センターで脊椎整形外科を受診した。普通の病院では整形外科で腰関係も診てくれたが、日赤では専門に脊椎関係の整形外科だった。主治医は当時、副院長をされていた名医だった。Roentgen・CTとMRI検査を行った結果、脊柱管狭窄症と診断された。18年ぶりに手術を受ける事となった。説明では脊椎にチタン金属を5本入れ自らの骨で補強し、狭くなった部位を拡げるOp.だった。入院期間は20日程と云われた。
 全身麻酔から目が覚めると以前同様、腰や下半身の違和感は無くなっていた。主治医曰く大成功との事だった。
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術前MRI

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術後MRI

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術後CT

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術後Roentgen

 Op.後、5年を経過したが腰痛も無く快適な生活を送っている。ただし、両足首から先の指にかけて違和感が残り、脚立や三脚に乗る事は出来ず植木業には幕を閉じた。この違和感は神経の損傷から来ていて修復は無理との事だった。