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《人生の回想》
第50話 帽子と“わたし”
野﨑(旧姓:椿)敬策(S46e)
若い頃はふさふさだった髪が三十代半ばに近づいた頃、チョット待てよ・・と思った。
親父も二人の兄もまだ禿げていないのにどうしてだろう。前髪を横髪で少し覆い始めた。昔の竹村健一を思い出して頂くと解る。ちなみに“パイプ”も吸っていた。ある時、両親に聞いてみたらお爺ちゃん(生まれた時は居なかった)が禿げていたとの事。隔世遺伝であることを理解した。
松下入社時の頃
二十代半ばの頃
夏の季節には暑く、冬になると寒いと頭が云っていた。そこで、帽子の出番だった。夏は主に“パナマ帽”を被った。冬には“フェルト帽”である。Italy製が多かった。冬ものはGermanyやCanada製も有った。日本製は“TORAYAの帽子”を唯一被った。
呉服屋さんで
とあるRestaurantにて
Washington D.Cでの一コマ
思いでの渚:逗子海岸にて
長工同窓会 東京支部 日工会展の鑑賞会にて
サックス奏者(左)・ピアニスト(右)
サックス奏者(左)
ピアニスト(右)
バイオリニスト(左)・フルーティスト(右)
バイオリニスト(左)
フルーティスト(右)
筆者にとって帽子は人生のPartnerとなった。ある時、画家がスケッチしてくれた。このスケッチは特徴を見事に表現していた。今も大切にしている。
帽子を脱いだ時のある日