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《人生の回想》

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第38話 母校:長工 OBとの絆
野﨑(旧姓:椿)敬策(S46e)
 我が母校:長岡工業高等学校は令和4年(2022年)創立120周年という輝かしき歴史を綴った。明治36年(1903年)が創立だ。これまで27,650名の卒業生(OB)を輩出している。
 長工同窓会東京支部が有ることを知ったのは故小高氏(S37e)が筆者と同じ会社(松下電器:松下通信工業)の同事業部に転籍して来た事がきっかけとなった。毎年、支部の総会および懇親会が上野の池之端文化センターで開催されており、この会に初めて誘われた。
 会場で受付を済ませ緊張しながら電子科の会場に入った。電子科一期生(S37e)のOBさんが沢山出席されていた。小高氏から第十期生である筆者を皆さんに紹介して頂いた。皆 温かく迎え入れてくれた。初めて母校を意識し固い絆で結ばれていることを知った。
 総会終了後、全科合同の懇親会会場に足を運んだ。目を疑うような光景が広がっていた。役員席、来賓席そして卒年毎の各席が所狭しと並び、大勢の方々が着席していた。筆者の昭和46年卒の席は何年かの卒年と一緒のテーブルだったと記憶する。この場で機械科卒の同期:原氏(現東京支部副支部長)との再会を果たした。他にも電気科卒も居たと記憶する。懐かしい校歌や応援歌を歌い宴は盛り上がった。絆の固さが一段と深まった。
 懇親会終了後、めいめい上野・御徒町界隈の二次会の席に移った。先輩に誘われ二次会の場に着くと電子以外に他の科の先輩たちともご一緒した。筆者にとっては初対面でありながら和気あいあいと故郷・長工時代の話題に花が咲いた。同窓会の大切さをこの時初めて感じた。その後、小高氏が不慮の事故死を遂げるまで毎年顔を出すようになっていた。
 ある時、原氏からメールで久々に同窓会に誘われた。会場は池之端から御徒町に移っていた。受付には同期の面々が何人かで参加者のお世話をしていた。総会も懇親会も同じ場所で全科合同の総会に変わっていた。役員さんも若返り時の流れを感じ取った瞬間だった。同窓会本部の山下会長さんや当時の太田校長さんとも挨拶させて頂いた。太田校長は恩師:平山先生の教え子であることを知った。何か縁念を感じずにはいられなかった。筆者も還暦を過ぎていたと思う。
 その後、何回となく会に出席し令和元年(2019年)に筆者を「長工大賞」の推薦を東京支部から行うと金井支部長さんから言われた。会に対して何の貢献もせず受け身だった筆者がこの様に言われ長工OBの絆の深さにあらためて感銘を受けた。原副支部長からは理事になってとのお誘いを受け、同窓会の発展に一肌脱ぐ決意をした。
 2020年は東京オリンピックの年だった。1964年筆者がまだ小学6年の時、東京オリンピックを一度体験して以来だった。しかし、2020年1月に想像もできない新型コロナウィルス感染によるパンデミックが世界中に起こった。オリンピックは何とか一年後の2021年に開催されたが、その他のイベントの類は全て中止となった。同窓会東京支部も当然のことながら3年間中止している。この間、役員会は感染防止を行いながら何度か都内で実施され、初めて能動的に同窓会に関わった。今までの役員さんの努力と苦労に脱帽した瞬間だった。
 役員会終了後、ささやかな懇親会が行われ先輩諸氏との交流が一段と深まった。特に前支部長の樋口さまには様々な形でお世話になっている。いつまでも末永く同窓会発展に継続的なご指導を賜りたい。
 日展鑑賞や観桜会、そして東京県人会における作品展などにも幾度となく参加させて頂き報告記も執筆させて頂いている。若長会との絆も深まっている。支部ホームページの担当理事さんにはお世話になりっぱなしである。大先輩の松永さんが投稿し続けている随想に感化され、川村理事さんの進言も有り一昨年から「人生の回想」を投稿させて頂いている。今年古希を迎える筆者だが未熟この上ないと思っている。ただ少しでもホームページに花を添えていると自負している。
 昨年(2022年)10月に母校の創立120周年記念式典で身に余る光栄の「長工大賞」を頂いた。筆者にとっては人生の宝物である。この誇りある母校への感謝と絆を大切にし、残された人生を後輩たちに受け継ぐ活動に少しでも出来たらと思っている。
 2023年の東京支部総会・懇親会を4年ぶりに再開出来る事が令和五年 新年の抱負である。

 「長稜賛歌」は人生にとって最も感銘を受ける大好きな歌である。
  ~嗚呼 長陵に 栄あれ!~

 第39話は越後の旅を回想する。