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《人生の回想》

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第34話 国内の旅(九州:後編)
野﨑(旧姓:椿)敬策(S46e)
 鹿児島から熊本に入ると川向にモノレールと温泉が見えた。早速、立ち寄り湯を考えた。津奈木温泉は岸壁の上に露天風呂が有り、モノレールに乗ってお風呂場に着いた。露天風呂からの眺めは素敵だった。
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熊本:津奈木温泉 モノレールで行く絶景露天風呂

 有明海に面した海岸線をDriveしていると遠くに雲仙普賢岳が観えてきた。夕闇も迫り海辺の旅籠に宿を取った。有明海が眼前の露天風呂で疲れを癒し、海の幸三昧の美味しい夕食に舌鼓を打った。
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雲仙普賢岳を望む

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有明海が眼の前の露天風呂

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有明海の幸満杯の豪華夕食:旅籠 磯亭さん

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有明海の干潟

 有明の干潟から石造りの段々畑に入った。ここではミカンの栽培が行われていた。熊本から福岡を経由し佐賀方面に向かった。
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 福岡から佐賀に向かう途中、船の運航で上下する橋が眼に入った。この橋は1935年5月25日に日本国有鉄道佐賀線の筑後川橋梁として開通した。筑後川の水運と両立させるために昇開式可動橋として造られた。蒸気機関車なども行き交う活躍ぶりだったが、1987年3月27日に国鉄民営化に伴い佐賀線も残念ながら廃線となった。その後10年ほどして遊歩道として再開通した機械遺産である。
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筑後川昇開橋

 宿泊地の佐賀 武雄温泉に行く途中、聖岳展望所を通った。眼下には武雄の市街地が望めた。
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聖岳からの武雄市街を望む

 武雄温泉は1300年の歴史ある温泉で、透明で湯触りが柔らかな特徴の美人の湯と昔から呼ばれている。楼門をくぐり大衆浴場で湯に浸かった。42℃と46℃の熱湯があり46℃にチャレンジした。地元の方は平然と熱湯に浸かっていた。宿泊先では一人寂しくコンパニオンを手配した。夕食の支度が整い部屋の座卓に居ると、何と日本髪姿の芸者さんが入ってきた。宿の粋な計らいだった。お酒もすすみ明日への鋭気を頂いた。
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国指定重要文化財 楼門

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武雄温泉第一源泉

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楼門を通って大衆浴場へ

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武雄温泉の芸者さん

 最後の視察地は長崎の佐世保から平戸である。佐世保港を経由し平戸方面へ向かう途中、江迎本陣跡があった。
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長崎:佐世保港

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 江迎本陣跡(えむかえほんじんあと)は、長崎県佐世保市江迎町長坂(旧肥前国松浦郡、長崎県北松浦郡)にある平戸往還江迎宿の本陣跡である。長崎県指定史跡。
 平戸大橋を渡り平戸に入った。平戸大橋はSan Franciscoのゴールデンゲートブリッジの様な景観だった。
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平戸大橋

 長崎県平戸市は、日本で初めて西洋貿易が行われた場所である。古くから西洋諸国との交流により発展してきた。
 街を歩けば、教会と寺院が隣り合わせの景色を見られるなど、異文化と日本文化が混ざり合った独特の雰囲気を楽しむことができた。
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オランダ街道案内図とオランダ橋

 15世紀頃から始まった西欧諸国による積極的な海外進出を大航海時代と呼び、その波は16世紀なかばの日本にも押し寄せた。それから約1世紀にわたり、日本とポルトガル、スペインの間で行われた交易「南蛮貿易」では、平戸は重要な役割を担った。その頃、江戸幕府から貿易を許可された東インド会社が、その拠点として設置したのが「平戸オランダ商館」である。やがて、江戸幕府の方針で、キリスト教(カトリック)の禁教や、海禁政策(個人の海外渡航や他国との貿易の制限)がすすめられるようになると、「オランダ商館」は長崎出島へと移転され、「平戸オランダ商館」は、その33年間の歴史に幕を下ろした。
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オランダ橋

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平戸ザビエル記念教会

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平戸の風景

 九州の視察旅行はここで幕を降ろした。
 一時期、岡山に本社がある両備ホールディングスのグループ会社で東京副支社長を務めた。オフィスは九段の靖国神社が眼の前に有る場所だった。2007年9月に社員旅行で福岡に行った。福岡市内の櫛田宮や大宰府天満宮等を観光した。
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櫛田宮

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博多山笠

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夫婦銀杏

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学問の神様:太宰府天満宮

 北九州の小倉や大分の別府温泉・湯布院・日田・耶馬溪等もかつて旅をした。湯布院では地域活性化の一環として「観光馬車」を提言し実現した。これらの旅はデジカメ以前でフィルム写真を探し出せなかった事が残念である。

 九州の旅を3部作で回想した。第35話では紀伊半島の旅を回想する。