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《人生の回想》

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第33話 国内の旅(九州:中編)
野﨑(旧姓:椿)敬策(S46e)
 2005年4月25日から7月25日まで脳腫瘍の手術で福岡に滞在した。この間、九州の観光スポットを巡った。香椎宮前のマンスリーマンションが拠点となった。香椎宮はマンションから楠木並木を歩いて10分ほどの所にあった。OPの成功祈願や術後のお礼に何度となく足を運んだ。
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香椎宮の風景

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OP成功のお礼参り

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海の中道:春薔薇が綺麗に・・

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 近所に不老水を祀った社があった。娘が退院後も不老水や筥崎宮、大濠公園等を散策した。
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不老水の宮

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箱崎宮

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大濠公園

 体調も回復しレンタカーでヤリイカの本場:津屋崎や宮地嶽神社そして柳川や長崎、高千穂、伊万里等に遠出した。
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津屋崎の山鉾

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鮮度抜群のヤリイカ

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古民家のご夫妻と

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宮地嶽神社に参拝:日本一大きな「しめ縄」

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玄界灘(茶屋の大門)から佐賀方面へ

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長崎港を望む

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大浦天主堂前

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嬉野温泉

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川古の大楠

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樹齢3,000年以上 全国五位 高さ25m、根回り33m、枝張りは東西・南北27m

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伊万里焼の郷

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高千穂に向かう途中の石造りの水道橋

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高千穂峡

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霧島・えびの高原

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柳川舟巡り

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柳川名物:鰻飯

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星野村の棚田へ

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福岡:仲衣焼の窯元にて

 2006年1月 九州の地域活性化を検討するうえで視察を兼ね一人旅をした。鹿児島から熊本そして長崎への西側を巡った。
 鹿児島空港からレンタカーで薩摩川内市に向かった。清色城跡に行った。中世薩摩地方の在地豪族として活躍した入来院氏の城跡で、シラス台地特有の切り立った空堀を有する縄張りは特筆で、武家社会研究の基礎となる「入来文書」が残り、かつ麓の居館地域の入来麓と一体となった景観を呈する山城跡として、平成16年9月30日に国史跡の指定を受けた。
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清色城跡案内図

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武家屋敷

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保存地区の景観

 出水市の史跡 五万石溝を散策した。出水市 (出水麓伝建地区内) 用水路(石積)で 長さ約20㎞→長50m(現存部)、 享保19(1734)に約20年をかけ完成した。 市史跡は 市教委/現地解説板 昭和52使用停止→ほとんどが埋立てられて道路化/展示保存。 施主:薩摩藩4代藩主・島津吉貴/米ノ津川上流の下平野に井堰を築いて取水し、水の頭・折尾野・城山等の山麓を迂回して大野原を横切り、洗切海岸(福之江)に至る用水路である。
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出水市 史跡:五万石溝

 史跡が多く麓武家屋敷に足を運んだ。屋敷内を案内されたり町民の寄り合いに参加させて頂いた。薩摩藩は、鹿児島の鶴丸城を本城として、各地に100以上の外城(とじょう)を造った。外城とは現在の市町村のようなもので、その外城には郷士(半農半士)の住宅と陣地を兼ねた武家屋敷集落がたくさんあり、「麓」と呼ばれていた。出水外城は肥後との国境に位置し防衛上重要な地域だったため、元々麓はたくさんあったが、1599年頃から(関ヶ原の前年)30年の歳月をかけて新たに薩摩藩最大(60ha)150軒の武家屋敷群が造られ、藩内から優秀な武士を集て住まわせ国の防衛にあたらせた。平成7年には国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、令和元年には日本遺産にも認定された。400年前の街なみが残る日本最大級の出水麓武家屋敷群である。薩摩川内から出水市を観て来たが歴史を感じる街並みばかりで、この景観を未来に伝えどう地域の活性化につなげるか思いを募らせた。
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麓武家屋敷と寄り合い

 この後、熊本に入るが紙面の関係で以降は第三十四話で回想する。