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《人生の回想》

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第15話 Family Auto Camp 🏕️ で自然と戯れる
野﨑(旧姓:椿)敬策(S46e)
 30歳の頃、Family Campが流行していた。我が家もご多分に漏れず家内の進言でCampグッズを近所のスポーツ店で購入した。書店ではCampガイドブックをgetした。ビギナーの為、初めてのCampは近場の河口湖畔だった。テントサイトまで車の乗入が出来ずグッズを運んだ。テント張りは手間取った事を記憶している。二度目は西伊豆の土肥温泉キャンプ場だった。テントサイトまで車の乗入が出来テント設営も楽に済んだ。不運にも翌朝から大雨でテントが雨で沁みてきた。幸い近くに金物工務店がありそこでブルーシートを購入し、テントやテーブル上にシートを張り雨から解放された。此のブルーシートはその後、雨対策以外にも日除けとして活躍した。
 三度目で夏休みを利用し青木湖・聖湖・白樺湖と信州方面で三泊四日のCampを行った。ただ、Camp地を変わるたびにテントの設営と撤去は無駄だった事に気付き、その後は最低でも同じサイトに二泊はする計画を立てた。自然の中で食事を作り食べている時空間は気持ちの良いものであった。32歳の時、能登島・平湯温泉・流葉スキー場を一週間ほどCampした。
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平湯温泉キャンプ場にて

 この時、思いもよらぬ腰痛に襲われた。帰宅後、病院で椎間板ヘルニアの診断を受け手術を勧められた。平湯でのキャンプはその後何年も続いた。車で乗鞍の千畳平まで行き乗鞍登山もした。高山や白川郷、金沢・能登にも平湯をベースに何度となく足を運んだ。娘が小学4年生になった頃、塾通いが始まりその後は暫く夏休みのCamp中止となった。それまでに行ったキャンプ地では九頭竜湖が一番遠かった。キャンプ場には誰も居なく我が家だけだった。夜中は静まり返りトイレが怖かったと娘や家内は口にした。朝の鳥のさえずりに眼が覚めた。Campならではの自然との共生である。
 Campの再開は娘が大学生になった頃である。キャンプ地も東北に移した。手始めに岩手の八幡平に行った。夏休みで沢山のCamperが楽しんでいた。東北は至る所に温泉が有り、何度となくお湯に浸かった。ただ、朝晩の寒さは結構厳しく日中との温度差がかなりあった。
 次の年(2003年8月)からは津軽岩木山の中腹にある憩いの村キャンプ場に行った。麓には広大なリンゴ畑が広がっていた。テントサイトからは弘前が眼前に広がっていて、日が暮れると夜景が美しい場所だった。遠くには八甲田が望めた。
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岩木山いこいの村キャンプ場にて

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知り合った絵描きさんと

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テントサイトのバックに岩木山

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サンライズのテントサイト

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娘も参加しキャンプ場へ

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ハンモックでくつろぐ娘

 岩木山いこいの村キャンプは2012年まで10年間続いた。このキャンプ場をベースに秋田・男鹿半島のナマハゲ👹、十和田湖、奥入瀬渓流、竜飛岬、八甲田、白神山地等を巡った。
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男鹿半島:デッカイ 👹ナマハゲ

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八甲田を目指す

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娘が参加して食事も豪華に!

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キャンプ場での仲間たちと

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鯵ヶ沢で映画のモデル犬「わさお」と

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寒さに震えた十和田湖遊覧

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キャンプ場で知合った方と

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秋田の海岸にて

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豪華昼食

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津軽ねぷたの準備風景

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毎年お世話になった食材調達の商店主と

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奥入瀬渓流の風景

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岩木山にて

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ねぷた祭り

 Family Auto Camp 🏕️ は人生にゆとりと拡がりを与えてくれた。毎年、リンゴや嶽きみ(トウモロコシ)が送られてくる。東北の人は温かい。感謝・感謝である!

 第16話では第三の人生ともなった植木職人と家庭菜園を回想する。