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《人生の回想》

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第14話 東京理科大学大学院での講義・東日本大震災の教訓
野﨑(旧姓:椿)敬策(S46e)
 2006年東京理科大学大学院の伊丹教授から特別講義のオファーがあった。当初、工学部大学院は野田キャンパスだったがその後、葛飾キャンパスに移った。また、工学部の教養課程(1・2年生)の学生は北海道の長万部キャンパスで学んでいた。
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特別講義 依頼書(一部抜粋)
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平成18年 9月15日
野 崎 敬 策 殿
東京理科大学大学院
基礎工学研究科
電子応用研究専攻幹事 蟹江 壽
特別講義の依頼について
 下記の通り本専攻大学院特別講義の講師を依頼いたします。
1.用 務
電子応用工学専攻特別講義において講演
2.場 所
東京理科大学大学院基礎工学研究科(千葉県野田市山崎2641)
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 第一回目の講義は10月26日だった。講義概要を以下に示す。

大学院特別講義(電子応用工学専攻)

日 時 :
平成18年10月26日(木) 16:20~17:50
場 所 :
講義棟3階 K301教室
講 師 :
野 崎 敬 策 氏
<御所属><グループ等><職名>
交通ジャーナリスト、ITSプロデューサー、技術コンサルタント
講義題目:
ITS(高度交通システム)による未来の交通社会と実現に必要な要素技術
講義概要:
ITSの歴史的背景と現在までの取組みを紹介し、今後の目指すITSの方向性を紐解き、その実現に必要な要素技術について考える。
・ ITSの9つの開発分野 ・松下電器におけるITSへの取り組み
・ 世界一安全な道路交通社会と環境への取組み
・ ユビキタス社会とITS・ITSに必要な要素技術と世界標準化動向
講師略歴:
1953年
新潟県生れ(53歳)
 
1971年
松下電器産業㈱入社 技術本部技術能力開発室勤務
 
1974年






松下通信工業㈱に転籍 交通システムの開発納入に従事
信号制御、道路情報提供、ハイウェイラジオ、トンネル防災
渋滞監視、旅行時間計測、突発事象検出、高速道路交通管制
バス運行管理、トンネル換気制御・照明制御等のシステム開発
ナンバープレート自動読取システムの開発
原子力発電所被爆管理、物的防護システム開発
上記に関する各種調査研究委員会への参画
 
1993年
道路公団系コンサル会社出向(1年11ヶ月間)
 
1995年
VICSシステムの開発納入責任者(96年4月サービスIN)
 
1996年
ETC全社開発プロジェクト責任者(花巻ITSテストコース建設)
 
1999年
(財)自動車走行電子技術協会出向(1年間)
 
2003年
松下電器退社 交通ジャーナリスト、ITSプロデューサーとして独立
現在に至る
所属学会:
情報処理学会、電子情報通信学会、電気学会
専門分野:
交通工学、システム工学、画像処理
委員等 :
ISO TC204/WG5国内委員、ITS情報通信システム推進会議アドバイザー
YRP研究開発推進協会委員、ITSシンポジウム運営委員、各学会ITS研究会委員
政策の創造と協同のための横浜会議会員、横浜ITS研究フォーラム代表
ITS技術による自動車交通の環境負荷低減に関する調査専門委員会委員(EIJ)
(NPO)ITS Japan個人会員
以上

 講義室にはMaster・Doctor Classと学部の3・4年生が席についていた。
 総勢およそ200名が興味津々の眼差しで迎えてくれた。
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講義風景

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講義する筆者

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講義で使用した「ASV実証実験 参加車両オンステージ
’05.10.16 苫小牧寒地試験場」のスライドの一部
 ASV:Advanced Safety Vehicle(先進的安全自動車)

 今では自動運転として市場に実用車が販売されている。ITS研究開発動向と課題や各大学の研究動向、世界の研究開発技術動向と世界標準化の動き等を講義した。
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ITS研究開発動向と課題

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大学における研究開発(論文)

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アメリカにおける研究開発動向

 講義終了後は事務局から学生のレポートが届いた。驚いたことに女性陣のレポートが優れていた事を記す。また、留学生も同様であった。特別講義は2013年まで続いた。
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長万部駅にて(伊丹教授と)

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長万部キャンパス

 2011年2月 娘の脳腫瘍が再発した。福岡の和白で手術後6年が経過していた。全ての細胞が取り切れなかったのが再発の要因だった。経過診察を受けている築地:聖路加国際病院から虎の門病院の名医を紹介された。腫瘍は1.5cm(2005年時はゴルフボール大)程で外科手術は必要ないとの判断だった。当時、最新鋭のサイバーナイフによる放射線治療で行う事が決定した。このサイバーナイフはMRI画像データと放射線照射ロボットをリンクし、ナノミクロン単位で患部のみ照射する世界初の医療技術だった。
 この開発はアメリカで推進されていて、このProjectに岡山医大のDr.佐藤氏が関わっていた。Dr.佐藤氏は広尾の日赤医療センターにこのシステムを導入し、症例を重ねていた。虎の門病院から紹介され始めて日赤医療センターを受診した。MRIデータや2005年当時のOpデータも聖路加国際病院から日赤に届いていた。この治療は頭を固定するため、型取りをして進められた。副作用は問題ないとの事だったが、ピンポイント放射線照射で脳がパニックとなり、髄液が脊髄に流れず脳内に溜まる症状が発生した。この結果、脳を圧迫し当時の様な記憶障害が発生した。最悪、バイパスを作り溜まった髄液を体内に流す手術が必要となった。Opの手配をする中で、再度、髄液が流れ出していないかのMRI検査を要望したら幸いにも脳内の髄液が自然に流れ出していたことが判明し、バイパス手術を逃れた。脳の圧迫も徐々に消滅し元の体調に回復した。1.5cmの腫瘍も半年から1年で完全に消滅し、11年経った今も再発は無くなった。
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サイバーナイフ治療設備

 この間で聖路加に入院していた時に忘れもしない東日本大震災が勃発した。病棟は7階で大揺れに揺れた事を知る。筆者は、この3月11日午後2時過ぎに車で自宅を出て首都高湾岸線で聖路加に向かっていた。横浜ベイブリッジにさしかかった時、ラジオのFMから緊急地震速報が流れた。ベイブリッジの中央付近で大きな揺れに襲われた。即、スローダウンし車を止めたかったが思うように行かなかった。何とか橋を渡り切って大黒ジャンクション付近で停車できた。走っていた大型バイクは左側壁に追突し転倒した。大型車両は今にも横転しそうな状況だった。幸いにも車の通行量が少なかったことで事故を免れた。この時、橋から転落するのではとの恐怖に駆られた瞬間だった。間もなく、カーナビのVICSに地震情報と通行止めで高速を出よとの情報が入ってきた。道路情報板にもその旨の情報が表示された。しかし、緊急車両も居なくとりあえず進める所まで行く事にした。幸いにも豊洲のインターまで行けて晴海通りに出た。大渋滞で緊急車両の走る余裕もない状況だった。聖路加が見える勝鬨橋手前で余震が襲ってきた。何とか聖路加に到着し係の案内でヘルメット着用し7階の病室まで案内してくれた。娘と家内は病室で連絡が取れない筆者を心配していた。病室のTVで大津波の状況を見て愕然とした。小学校6年の時体験した新潟地震も怖かったが、今回は想像できない事態だった。
 この体験を論文に纏め学会等で講演した。阪神淡路大震災や新潟中越地震をベースにITS等でも対策を講じてきたはずが、全く緊急時にはその機能を果たさなかった。

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 2011年9月には「中長期ITS推進の動向と将来」をテーマにIEICEにて特別講演(宇都宮大学)を行った。また、11月には「地域ITSの動向と将来」をIPSJにて招待講演(鹿児島県民交流センター)に対応した。
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鹿児島での招待講演

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西郷隆盛像

 第15話ではPrivateなOutdoor(Auto Camp)の思い出などを回想する。