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《人生の回想》
第11話 ITST2005・ITSC2005国際会議で将来のITS活動を見据える
野﨑(旧姓:椿)敬策(S46e)
2004年にはシンガポールでITST2004が開催された。会議の合間にシンガポールの街中散策をした。なお、会議内容は第10話で述べた。
マーライオンをbackに
シンガポールの寺院にて
セントーサ島の熱帯植物園
出会ったインドの観光客と
ITST2005はフランスのブレストで開催され関東学院大の水井教授・永長助教授らに同行した。6月25日の夜間flightでシャルル・ド・ゴール国際空港へ旅立った。パリで一泊し翌日オルリー空港から大西洋岸のブレストへ向かった。パリではシャンゼリゼやセーヌ河、エッフェル塔・ノートルダム寺院(お昼の鐘を福岡で入院している娘に国際電話で聴かせた)などを散策した。
シャンゼリゼ通り
セーヌ河
楽しいポーズのパリジェンヌ
(筆者のRequestで:後ろ姿の筆者)
シャンゼリゼの一コマ
ブレストはフランス海軍の軍港の街で日本の横須賀市と姉妹都市である。
オルリー空港では事前にお願いした通訳:サラーン貴子(2002年日本でのMWE国際会議で同行したフランスの通訳者(MWEではDSRCの講演をし、NICTやフランス通信省の方々との食事会で知り合った女史)の紹介)女史が待っていた。国際会議とは別に横須賀市からブレストへ親書が贈られ、NICT長尾理事長からブレスト市へ手渡され覚書調印が行われた。この席では筆者はジャーナリストとしての取材を担当した。小栗忠順氏は1860年代に横須賀製鉄所建設、洋式軍隊整備に貢献した。フランスのFrancois VERNYは小栗氏が横須賀製鉄所建設に任命した首長である。ここで初めて筆者はフランスと横須賀の関係を知った。
親書贈呈と覚書調印の席
覚書にsignする様子
1865年当時の両国当事者
(仏:Francois VERNY、日本:小栗忠順氏)
調印式に臨んだVIP
(右から二番目がNICT:長尾理事長)
調印式後の歓談風景
満面の笑みを浮かべる長尾理事長
歓談の隅にいる筆者(左端)
歓談シーン
ブレストは大西洋岸の比較的小さな港湾都市で、かつての戦時中の要塞が残されている。また、当然ながら世界的ヨットレースの航路でもある。
ブレストの風景
戦時中の要塞と公園
当時の砲弾Monument
ヨットレースの船体
ITST2005の主要テーマは車の自動運転と車車間通信(IVC:Inter Vehicle Communication)だった。欧米各社が様々な研究成果を発表し、展示ブースでは試作品の内容説明等が行われていた。日本の沖電気はバス仕立てでIVCのデモを行った。フォルクスワーゲン社は自動運転デモ・試乗を実施した。障害物検知にミリ波レーダー(60GHz帯)を搭載していた。当時のレーダー価格は60万円で高価だったが、増産効果で価格は下げられると自信を覗かせていた。
Registration Counter
展示ブースにて
(左:筆者、中央:伊丹教授)
車車間通信(Inter Vehicle Communication)デモ車(沖電気)
(バスデモカーの中央が筆者)
車車間通信(Inter Vehicle Communication)
デモ車(沖電気)(バスデモカーの中央が筆者)
Compactカーの自動運転デモ
自動運転試乗(フォルクスワーゲン社)
ITST2005の歓迎Receptionがフランス海軍の迎賓館で開催された。迎賓館の前には大西洋が広がっている。迎賓館前では素敵な生演奏とWelcome DrinkのChampagneが待っていた。館内でOpening Ceremonyの後、ケルト人(先祖が)による音楽と舞踊で歓迎してくれた。
仏:海軍迎賓館前の海
仏:海軍迎賓館
歓迎Receptionの演奏
Welcome Drinkで
横浜以来の再会(仏通訳の女史)
Receptionでのテーブルを囲んで
歓迎のケルト音楽と舞踊
ケルト系民族とのShot
国際会議の最後に紹介された後、ENST(日本のYRPに相当する情報通信研究開発の拠点)に向かい研究内容等の説明を受けた。また、Auto Cruise社のミリ波レーダーの開発状況を視察した。
会議場での筆者
ENST正面
Auto Cruise社
ミリ波レーダーの実物
ENST Brest全景
全日程終了で関係者と
(左端二番目:筆者)
国際会議終了で同行した人は帰国の途についた。筆者はブレストに3日間残り西仏を通訳者(サラーン貴子女史)に案内して頂いた。モンサンミッシェル、ノルマンディ、ブレスト大を案内してもらった。モンサンミッシェルでは偶然が重なった。通訳者の知合いが観光していた。また、会議で一緒だった東大の今井教授夫妻にも出会った。海外ではご婦人同伴で国際会議に臨むDrやPhが多いが、日本人が同伴で来ることは珍しかった。オムレツ屋のStaffが全員勢揃いしPR写真の撮影の場に遭遇した。ラッキーな光景だった。
早朝のブレスト駅
モンサンミッシェルにて
通訳者の友人ご夫妻と
有名なオムレツ屋での東大:今井教授夫妻
サラーン貴子通訳者:右側
オムレツ屋Staffの撮影風景
仏:ブレスト大のPhと
学生達と
モンサンミッシェルの翌日、サラーン貴子女史の友人宅を訪問した。友人は日本人の女性柔道家だった。サラーン貴子は元々海外ツアーコンダクターの職に就き、今のご主人(仏海軍)と出会い結婚したとの事である。知合いの女性は柔道家:加納治五郎がフランスに柔道を伝え、それがきっかけで渡仏し柔道を教えたとの事だった。ノルマンディでは当時の要塞跡を案内してくれた。また、サラーン貴子女史の友人に出会った。
女流柔道家の家族と(Wineで乾杯)
柔道:加納治五郎氏の垂幕
ノルマンディの要塞跡
今も残る砲台
クラシックカーが走る
サラーン貴子女史の友人と
Brestに帰りサラーン貴子女史の家に招待された。旦那さん(仏海軍)と二人の息子、そして利口なワンコが出迎えてくれた。手作りの料理と美味しいWineをご馳走になった。翌日、一人でBrest空港からパリ経由で帰国の途についた。
サラーン貴子女史のマイホーム
食事風景
家族写真
手を振ってお別れをする
2005年9月13日から16日までAustriaのViennaでITSC2005国際会議が開催された。ITSC(Conference on Intelligent Transportation Systems)はIEEE主催のITSに関する最も内容が多岐にわたる会議であった。Viennaで東京理科大:伊丹教授、成蹊大:青木教授と行動を共にした。Viennaまでの直行便が無く、フランスのシャルル・ド・ゴール空港経由でViennaに入った。Hotelにcheck in後、夕食を共にした。両教授とも東大出身で、青木教授はカナダのトロント大学で教鞭をとり帰国後は成蹊大教授となった国際派。
Viennaのホテル前広場
左:成蹊大 青木教授
右:東京理科大 伊丹教授
伊丹教授は羽鳥教授(電議審委員長)の弟子で無線通信の専門家である。
翌日、国際会議場に向かいRegistration(参加登録)をした後会議に臨んだ。Austria ITS
からのPresentationでViennaの公共交通について報告が有った。環境問題を考慮しマイカーから路面電車や地下鉄へのシフトで75%を公共交通利用率とする等の内容にインパクトが有った。この報告は筆者のITS活動で今後、環境問題を取上げるきっかけとなった。
国際会議場
ITSC2005案内ボード
Austria-ITSのPresentation
公共交通へのモーダルシフト
会議場全景と路面電車(LRT)
会場での学生と
国際会議には世界各国から350名程が出席し、Opening CeremonyはVienna市庁舎内のホールで開催された。バンドによる生演奏で歓迎してくれた。
Vienna市庁舎
ホールでの筆者
歓迎の演奏
Washington以来のお髭三兄弟
会議の合間でVienna市内や郊外の観光スポット、さらにはバスツアーでPragueやBudapestにも足を延ばした。この国際会議から現地までの往復は気楽な単独行動となった。
第12話ではVienna散策とITS-WC San Francisco および ITSシンポジウムを回想する。