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《人生の回想》

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第10話 大病と家族の絆・その中でのITS活動
野﨑(旧姓:椿)敬策(S46e)
 2004年2月にかつての松下通信の同期と鶴巻温泉で集いをやっていると、宿に早朝から電話があった。何事かと思ったら最愛の妻に悪性腫瘍(大腸:S状結腸癌)レベル4が検査で判明し、即入院・外科手術が必要との連絡だった。夢にも思わなかった事態に宿の朝食もとらず帰宅した。近くのクリニックに説明を聞きに行き、紹介された病院に入院する事となった。癌摘出は約30cm(腫瘍部分が10cm・前後10cmの切除)大腸を切除した。病理学検査の結果、幸いな事にかろうじてリンパ節などへの転移は見つからず3・5・10年の経過観察を行う事となった。約1カ月の入院期間だった。松下時代に契約していたがん保険にお世話になった。退院後は静養を兼ね毎週のように温泉に行き、術後の傷を癒した。
 体調も戻る中、筆者は第9話で記した横浜ITS研究フォーラムやITST2004シンガポール、この後紹介するITS-WC名古屋等に関わった。
 ITS-WC名古屋2004は10月18日から22日の5日間、ポートメッセ名古屋で開催された。Opening Ceremonyが名古屋中心部の栄町にあるオアシス21で開催され、豊田会長の挨拶後、秋篠宮殿下がITSの意義や世界貢献への期待など、お言葉を述べられた。
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豊田会長

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秋篠宮殿下

 筆者は名古屋にある岡谷精機(株)さんからITSブースの企画推進オファーを受けた。岡谷はETCのDSRC電波吸収体(パターン型)を開発販売しており、その関係でオファーの依頼があった。また、地域メディアコミュニティ放送局による情報発信を企画し、ITS情報の発信にも力を入れた。展示会場では実際にミニ放送局にてITS-WC情報を放送した。
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岡谷精機の展示ブース

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展示ブースにて

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ETC:DSRCパターン型電波吸収体

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地域メディアコミュニティ放送局

 世界各国企業はITSに関する様々な研究開発成果を展示した。お世話になっている東大:羽鳥教授(当時の電議審:委員長)やかつての松下の森下会長も視察に来た。
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東大:羽鳥教授

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Panasonic:森下会長

 学会活動での関係者も多数参加した。
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埼玉大の関係者と

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東大:高場教授(筆者の隣)と

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Washington国際会議以来の再会
(オハイオ大:Ph.)

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Closing Ceremonyにて

 2004年10月4日からWashingtonD.CにてITS国際会議が三日間開催された。筆者は埼玉大:長谷川教授、関東学院大:水井教授らに同行した。初めてのアメリカの大地に立った。
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New Yorkの空港にて
(左:水井教授、中央:長谷川教授)

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学生たちと

 ITS分野では世界的に日本が一歩進んでいるため、国際会議での各国の内容はさほど目新しさは無かった。ただ、自動走行分野では国防総省が無人の自動走行車両開発に力を入れており、コンテストを開催しその成果報告には得るものが多々あった。
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Washingtonダレス国際空港にて

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ITS国際会議開催ホテル
(宿泊も同ホテル)

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国際会議チェアマンと

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チェアマンのスピーチ

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Speechする筆者

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国際会議全日程終了後

 会議終了後WashingtonD.Cの観光スポットを散策した。
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White House

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Washington Monument

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リンカーン大統領記念堂

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Potomac River:関東学院大 水井教授

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アーリントン墓地

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ケネディー大統領のお墓

 会議の全日程終了翌日、オハイオ大のPh.にSmithsonian航空博物館を案内してもらった。
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埼玉大:長谷川教授・オハイオ大Ph.と
(国会議事堂をbackに)

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Apollo 月面着陸風景

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Space Shuttle

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ライト兄弟と筆者

 2005年2月に愛娘が微熱と頭痛が続き、3月末には記憶障害が発生した。建築科を卒業し某大手建設会社のデザイン部門に在籍していた時だった。近くの脳神経外科病院にマイカーで行き夜間救急診療を受け、CT検査で脳腫瘍(ゴルフボール大)が見つかった。外科手術(腫瘍除去)を行わないと命に係ると言われた。入院後、執刀医を慶応大学医学部教授(国内で三本の指に入る名医)にお願いする事で決定した。脳腫瘍でも一番難しいとされる頭蓋咽頭腫(脳のど真ん中で下垂体付近)だった。
 当時、ゴッドハンドと呼ばれ世界で評判となっているアメリカ:デユーク大に日本人脳外科医:Dr.福島孝徳氏のいる事を知った。日本の福岡:和白病院に5月に来ることを知り、ダメもとで連絡を取った。Dr.福島氏は難しい脳腫瘍で若い患者を優先して執刀していた。ラッキーな事に福岡まで連れて来れるなら手術を行うとDr.福島氏が言っているとの連絡だった。入院中の主治医に事情を説明し福岡へ転院を決めた。当然のことだったが主治医には怒られた。4月25日羽田から福岡に向かった。この朝、偶然にも関西の尼崎で列車脱線の大事故が発生した。このニュースを羽田でflight待ちに知った。忘れられない日となった。福岡の香椎宮前(西鉄線)にマンスリーマンションを借り、福岡での生活が始まった。
 福岡空港から車で和白病院に到着し娘は入院した。しかし、自分が何故此処に来たのかを知る由も無かった。5月8日(母の日)に手術日が決定した。マンション近くの薬師堂に手術成功の祈願し病院に向かった。朝、7時に手術室に入り午後5時までの10時間にわたるOpだった。脳神経外科センター長(Dr.福島氏と連絡を取り合ってくれた方)からMRI画像により術前・術後の説明を受けた。ゴルフボール大の腫瘍が見事に消えていた。Op成功である。ICUに案内され麻酔から覚めた娘の顔を見た。頭を開頭した事で包帯が巻かれていたが、意識はしっかりし記憶障害が無くなっていた。初めて自分が何の病気で福岡にいるのかが理解できた時だった。Dr.福島氏は忙し過ぎ(この日7人の執刀が入っていて娘が最初だった)会ってお礼を言う事が出来なかったが看護師長を通じサインを頂いた。
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福岡和白病院

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入院時の家内と娘

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術後の病室で

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退院で箱崎神社にお礼参り

 娘は術前に40kg代だった体重が術後の入院期間中で34kgまでSlimになっていた。その後、経過とともに体重も元に戻り元気を取り戻した。趣味のフラメンコ舞踊も1年後には踊る事が出来た。
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アメリカ デユーク大:Dr.福島氏のサインと執刀日の新聞ニュース

アメリカ デユーク大:Dr.福島氏の
サインと執刀日の新聞ニュース

 7月末に無事退院し横浜の自宅に帰宅した。福岡での入院期間は丁度3カ月だった。退院後暫く通院となり、この間チョットした九州観光を味わった。また、家内は一度も横浜には帰宅せず3カ月間娘の世話をしてくれた。
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津屋崎の藍染め屋にて

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香椎宮前の住まい近くのcaféマスターと

 下の写真はレンタカーで佐賀、長崎、宮崎など束の間のドライブで行った観光地である。
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博多 大濠公園

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玄界灘の海岸

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焼物 伊万里の里

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宮崎 高千穂峡

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柳川舟巡り

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佐賀 嬉野温泉

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愛犬:ビビアン&マロン

 2004年の家内と2005年の娘の大病に癒しを与えてくれた我が家の愛犬に感謝だった。
 娘が帰宅後三人でまた温泉による療養を続けた。この病気を通じ家族の絆が益々深くなったのは言うまでもない。
 この間、筆者はフランス:ブレストで開催されたITST2005への出席を何とか果たした。また、埼玉:川越の父がブレスト出発前に他界したが葬儀に間に合うことが出来た。

 第11話では引き続き学会や国際会議での活動内容を紹介する。