若波会
佐渡を世界遺産に(佐渡金銀山世界遺産登録推進講演会・懇親会参加記)
1.期 日 :
2019年(令和元年)11月10日 (日曜日)
3.参加者 :
東京支部から4名、樋口(S29E)、川村(S36E)、児玉(S46M)、永見(S48E)記
『参加記』
当日は快晴で都内では天皇皇后両陛下の祝賀パレードが行われようとしており、電車内はいつもより軽い興奮と混雑が見られました。
講演会の案内は樋口顧問、若波会斎藤様よりいただいたもので、過去に佐渡金山の見学はあるものの文化的な価値は何があるのだろうかと素朴な疑問があり、ぜひ講演を聴講したいと参加しました。
今回の講演会・懇親会はユネスコの『佐渡金銀山の世界文化遺産登録』を目指している中の活動の一環として開催され、主催は「佐渡を世界遺産にする首都圏の会」になります。
講演会場のキャパは200名ですが、満席の中、鈴木一義先生(国立科学博物館 産業技術史資料情報センター長 新潟県生まれ 63歳)の歯切れの良い分かりやすい講演が始まりました。
以下要旨 カッコ書きは当方の勝手な追記です。
- 佐渡金銀山は「相川金銀山」「鶴子銀山」「西三川砂金山」の総称。
(三か所もあるとは知りませんでした)
- 900年の歴史があり、産出した金は重さ80t、体積は1.6㎥である。
(ちなみに現在の買取価格1g 5,685円として、80tでは4,548億円となる)
- 採掘の坑道の長さは延べ400kmに及ぶ。
(おおよそ東京駅から村上駅までの距離に当たる途方もない長さ)
- 鎖国が260年間続いた理由として、幕府財政に金銀の存在が大きく寄与している。
(金、銀が国内で賄えるため外国との交易は必要がなかった)
- 佐渡金銀山の鉱山技術は外国にひけをとらず秀でていた。
- 15,6世紀に(ヨーロッパ各国は)黄金の国ジパングを探すため大航海が始まった。
(既に日本には金銀が採掘されていることが知られていた)
- 鉱山絵巻とは物語性がある巻物、冊子であり、佐渡金銀絵巻は吉宗の命で80~100本が作成された世界でも珍しいものである。(他国では例がない)
- 絵巻には(製錬までの)工程別、時代毎に作成されていたが、金銀の製錬と分離方法などは他鉱山に影響を与えている。
- 黄金を取り出し、小判にする技術(純度99.5%)は全国の五か所の小判所(江戸、駿府、佐渡他)でのみ行われていた。
- 1600年代に竪坑から横堀の坑道に移行、(その工法は)用水にも活用された。
- 佐渡金銀山は人と自然を大切にし、福利厚生が優れていたが、このような鉱山は世界の中で佐渡以外にない。(強制や監視はなく、自由度が高かったのは意外だった)
講演会の私見:30年前に佐渡金山を見学したが、当時はこのような説明がなかったと記憶しています。世界に誇れる鉱山技術と運営などが絵巻に残り、もっと多くの方にぜひ知ってもらいたいと思いました。世界遺産に登録されることを願っています。
編集:永見(S48E)
写真:児玉(S46M)
懇親会 若波会斎藤会長
懇親会 若波会佐渡おけさ