散歩クラブ同好会
散歩クラブ 第4回活動報告
[鎌倉散歩(市内観光・寺院巡り)]
鎌倉の仏教文化に触れながら、お花見を兼ねて「鎌倉散歩」を実施しました。
当日は晴天で風も無く絶好のお散歩日和でした。並木会長も参加され、楽しく、安全に終了しましたので報告いたします。
尚、銭洗い弁天以降は、鎌倉市内観光チームと寺院巡りチームの2手に分かれて行動し、
鎌倉駅にて合流し、反省会会場の横浜中華街に移動しました。
円覚寺
弘安5年(1282)、執権北条時宗が宋から招いた無学祖元(むがくそげん)を 開山として創建された臨済宗の寺。 鎌倉五山第二位。度重なる火災により衰退したが、 小田原城主や江戸幕府により復興。 現在の建物は関東大震災以後に修復された。 約6万坪の広い境内をほぼ一直線に伽藍が並び、15の塔頭寺院が建つ。
浄智寺
円覚寺参拝後、浄智寺の脇の葛原岡ハイキングコースに入り、この路から寺社境内 を見る。鎌倉五山の四位に列せられる寺。弘安4年(1281)、執権北条時頼の三男宗政の菩提を 弔い、 宗政とその子師時を開基として宗政の妻が建立した。
葛原岡神社
途中、葛原岡神社に立ち寄り参拝。この神社は、後醍醐天皇の側近・日野俊基を 祀る神社で、明治天皇が日野俊基に従三位を贈り、地元有志と全国の崇敬者の協力により 明治20年(1887)に創建されました。日野俊基は鎌倉幕府の倒幕の謀議に加わり、正中の変(1324) で捕らえられ許されたが、元弘の変(1331)で再度捕らえられ、翌年ここで処刑された。
源氏山公園
円覚寺を出発して約50分で源氏山公園に到達。桜も大分残っており、沢山の花見客 で一杯。桜の下の空いているスペースにシートを広げ、お花見を始める。
源氏山公園は、平安時代の永承6年(1051)、源頼朝の先祖である源頼義は陸奥の安倍頼時の討 伐に出陣。その時、ここの山上に白幡を立てて、氏神の岩清水八幡宮に戦勝を祈願し、出征した。 源頼朝も此れに習って、平家追討の時、山頂で、源氏の戦勝を祈願したと言われる。
銭洗弁天
14時20分に源氏山公園を出発し、10分ほど歩いた所に銭洗い弁天がある。
お金が溜まるよう祈願する。正式名は銭洗弁財天宇賀福神社。 源頼朝に、巳年の1185年
(文治 1)、巳の月、巳の日の夜、「この福水で神仏を供養すれば天下泰平に治まる」という
夢のお告げがあり創建されたと伝える。
高徳院
高徳院は、鎌倉のシンボルともいうべき大仏を本尊とする寺院であるにも関わら
ず、その草創については、開山、開基を含め不明な点が多いのみならず、大仏自体の造像の
経緯が今ひとつ明らかではない。
長谷寺
寺伝によれば、天平8年(736年)、大和の長谷寺の開基でもある徳道上人を
藤原房前が招請し、十一面観音像を本尊として開山したという。この十一面観音像は、
観音霊場として著名な大和の長谷寺の十一面観音像と同木から造られたという。すなわち、
養老5年(721年)に徳道は楠の大木から2体の十一面観音を造り、その1体(本)を本尊とした
のが大和の長谷寺であり、もう1体(末)を祈請の上で海に流したところ、その15年後に相模国
の三浦半島に流れ着き、そちらを鎌倉に安置して開いたのが、鎌倉の長谷寺であるとされる。
反省会
16時15分、2手に分かれたチームは鎌倉駅で合流し、横浜中華街に向かう。 店は「清海星」を予約したが、路に迷い17時30分の到着となってしまった。店は小さく庶民的で あるが、味、ボリューム、値段、どれも充分満足する。反省会は散歩の反省よりも同窓会支部 をどのように再興して行くかが議論の中心になり、大きな声で論議した。 お店には迷惑を掛けたものと思う。これも全員、支部の再興を真剣に考えており、次の行動を 模索しているところにある。
以上(小島 記)