散歩クラブ同好会
散歩クラブ 第14回報告書
(高麗神社参拝と巾着田彼岸花見物)
台風16号の影響を心配していたが、晴天に恵まれ、予定通り10時50分にJR八高線・高麗川駅に全員集合し、散歩に出掛けました。
ルートのポイント
高麗川駅から高麗神社へ
10時50分に全員集合し、高麗神社に向かう。神社への案内標識がしっかりしており、安心して里山散歩を楽しむ。
高麗神社と高麗家住宅
11時20分に高麗神社に到着。
入口には将軍標が立ち、山門扁額には『高句麗神社』と渡来元の高句麗の『句』の字が小さく入れられている等、
神社境内、建築物のところどころに朝鮮半島の影響を見ることができる。神社本殿の後方に高麗家住宅が建っています。
高麗神社は、668年に唐・新羅に滅ぼされた高句麗からの渡来人を移し置いたもので、703年には高句麗王族とされる高麗若光に
朝廷から王(こきし)姓が下賜されている。当時、高麗若光は渡来人の集団である高麗郡の郡司に任じています。
高麗神社はこの高麗若光を祭っています。神仏習合の時代には高麗家は修験者として別当を勤めていました。
高麗家住宅は、代々、高麗神社の神職を務めてきた高麗家の家で、建築年代は、慶長年間(1596~1615)と伝えられて
います。建築様式は古く、17世紀のものであることは確実であると指摘されています。
東日本の民家の中では古い形を遺している極めて重要な例とされ、昭和46年(1971)6月に重要文化財に指定されました。
将軍標の前で
神社前で
高麗家住宅の見学
聖天院
高麗王廟
聖天院前にて
今回の企画には入っていなかったが、高麗神社の近くに聖天院があることを知り、立ち寄りました。
このお寺は高麗王若光の菩提を弔うために、751年に王の侍念僧勝楽により開創されました。
開創当時若光が祖国(高句麗)より請来した歓喜天(聖天尊)を本尊としたことが聖天院の
名の由来。近くに高麗王廟があります。
巾着田彼岸花
聖天院を後に、巾着田に向かう。30分程の道程で、巾着田から、聖天院、高麗神社に向かう観光客とすれちがいながら歩く。
栗が名物なのか、道端に栗の販売所が沢山見られます。また、普通の農家らしいが、庭に三重塔を建てている家があり、
びっくりしました。
巾着田に12時40分に到着。巾着田は、日和田山から眺めると高麗川に囲まれた地形が巾着のように見えるので、古くからの俗称としてこの名が呼ばれています。
曼珠沙華公園は、500万本と言われる彼岸花が一面に咲き乱れ、それは見事です。
彼岸花を見物しながら、出店広場を目指し、そこで遅い昼食を摂りました。弁当や武蔵野うどん、お酒、ビール、おつまみなど銘々に調達し、しばしゆっくりと休みました。
曼珠沙華公園にて
一面に咲く彼岸花
出店広場の全景
反省会
反省会
90分程の彼岸花見物と昼食を終え、帰途につく。帰りはバスで高麗川駅方面に向かい、うどんレストラン『夢庵』に入る。
晴天下の散歩でビールが美味。
故郷や母校で過ごした時代などの話で楽しいひと時を過ごしました。
本日の散歩は、歩数;約15千歩、約9km散歩でした。
文責 小島 洋