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先輩から

S20M 松永大先輩からの投稿です。
第69弾です。なお今後も定期的に投稿を掲載して行きます。どうぞご期待ください。
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第69弾「創刊号」

松永 巌

 ここに言う創刊号とは東大機械同窓会会誌の創刊号の事である。東大機械の歴史は古く 第一回卒業生は明治一二年(一八七九)で四名の方が居られる。当時は工部大学校と称されて居り、明治一九年(一八八六)から東京帝国大学となり、私が入学した昭和二二年(一九四七)九月迄続き以後東京大学となった。然し同窓会なるものは設立されず、昭和二八年(一九五三)に漸く発足し、会誌の創刊号は昭和三二年(一九五七)の三月に発行されて居る。因に私が三菱に入社して四年目の事である。
 B5版、一九四頁、表紙に東大のシンボルの安田講堂の写真、初代会長加茂正雄名誉教授(明三一)による「会報」の題字と創刊号、東大機械同窓会の文字が墨痕鮮やかに記されて居る。
 この創刊号を私が海外勤務も含めて六〇年以上保管して居た理由は、この誌の中に「長崎地区同窓生だより」と題した記事があり、この執筆を入社間もない私が担当したからである。
 同窓会設立を機に加茂会長が目ぼしい会社、事業所を巡回される事になり、長崎造船所には昭和三〇年一〇月二五日、会長と私の大学院時代の指導教官であった鈴木茂哉教授(大一〇)がお越しになる事が決まり私が長崎駅のお出迎えから担当する事になった。鈴木教授には私の希望通り水力発電水車の設計に従事して居る事を御報告、教授もお喜びのご様子であった。諸般の行事の修了後、夜は市内の中華料理「四海楼」で両先生の歓迎会を兼ね地区同窓会を開催した。その時の集合写真が私の記事と一緒に載って居る。明治四〇年(一九〇七)の横山孝三顧問から新入社員まで総勢二六名、残念乍ら生存者は私一人丈である。
 この創刊号を平成二八年(二〇一六)の第六四回同窓会に持参し、一同に被露した所、時の会長の松本洋一郎工学部長(昭二七)が大変貴重な物であると興味を示され、電子ファイルにして全会員(約九九〇〇名)に紹介したいので預かりたいと申し出られた。
 勿論快諾し、幹事の高木周教授(平二)に手渡した。頁数も多い為か二週間程して返送されて来た。全文は電子ファイルとして発表されたが、後の会報六〇号(二〇一五)に私の寄稿文と共に表紙や序文等の一部が紹介された。最新号は令和三年の六四号である。
 大切にして居た創刊号。表紙の一部はセロテープで補修してあり、紙質も粗悪で褐色に変色し、粗く扱えば破れそうであるが、このような形で大勢の同窓会々員に紹介された事を大変嬉しく感じて居る次第である。

2023.11.10